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2004年 07月 09日
第4章(1)
THE DELICIOUS BOY

CHAPTER-4
東京2001年晩秋
「では、ここで報道局の佐藤さんにニュースを伝えてもらいます。佐藤さん」
「はい、こちら報道局です。十時現在のニュースをお伝えいたします」
 美波はスタジオの隅に置かれたパイプイスに座って、キャスターと報道局のアナウンサーのやりとりを聞いていた。
 さきほどからの調整室と近くにいるタイムキーパーの悲愴な会話内容で、番組の進行が今時点で二割がた遅れていることが分かっていた。
 今年の九月に起こった米国同時多発テロ以来、こういったバラエティ的な軽い報道番組でさえ現在のニュースが一番の目玉となり、何か事件が起こるとすぐに番組の内容が即時改編されるようになった。
 今日入ったニュース内容は深刻でも何でもなかったが、カメラはニューヨークの特派員に切り替わり、アメリカの対テロ評議会の会合の様子が画面に映し出された。
「まったく、こんなの生で見せてどうするつもりなのよ」
 ハイヒールを履いた足を組み替えながら毒づくと、通りかかったトレーナーにジーンズ姿のアシスタントディレクターがぎょっとした顔で立ち止まって美波を見た。
 番組進行はこのあと事件特集があり、地方の行事を紹介する中継レポート、天気予報と続いて、最後にミュージシャンの生演奏で終わることになっている。
 しかし、このままでは時間を延長するか、どれかを落とさない限り番組は終わりそうになかった。
 今日のニュースは内容から考えるとスポンサーに頭を下げてまで時間を変えるほどの
トップニュースではなかった。そうなると、残るは「落とし」だけだ。
 二割の遅れを取り戻すためには最低十分はどこかを切り詰めなければならない。
 では、どこを切るか。
 美波はくだんのアシスタントディレクターが近づいてくる前に立ち上がっていた。
「あの、藤崎さん‥」
「分かってるわよ。出番がなくなったから、荷物まとめて帰れ、でしょ?」
 ぴしゃりと言い放つと、まだニューヨーク中継の音声が聞こえるスタジオを後にした。

 まったく、ツイてない。
 リノリウムの廊下にハイヒールを突き立てるように歩きながら美波は右手で丸めて持っている番組進行表でありとあらゆる目につくものを叩いていた。
 九月のテロ勃発以来、こんな風にドタキャンされるのはもう五回目である。最初はテロの経過も気になっていたので、新進バンドの演奏がキャンセルされても仕方ないと思っていた。
 しかし、あれからもう二か月以上経っている。
 テロはテロ、番組は番組とそろそろ区切りをつけてもいいはずではないか。

 控室にたどり着くころには美波の怒りは落胆に取って変わっていた。
 控室のドアには「ニュースターミナル 演奏者」とマジックで書いた紙がガムテープで貼ってある。
 普段はそこで演奏者が長時間待たされることはない。番組が始まる一、二時間ほど前に入り、番組準備と平行して別スタジオでリハーサルを行い、演奏設備が大きいならそのスタジオで、そうでなければ本番組のスタジオで番組終了時に本番の演奏を行う。
 だが、今日のニュームーンは七時に控室に入って八時半に簡単なリハーサルはしたものの、そのまま控室に戻され、それっきり呼び出されることはなかった。
 第一、まだ「ニュームーン」というバンド名すらテレビ電波に載せていない。毎週金曜日「ニュースターミナル」の最後でミュージシャンやアーティストのライブパフォーマンスがあるのは恒例なのだが、番組を表裏ともに牛耳るキーパーソンの奥田哲志の意向なのか、誰が出演するのかは最後のさいごまで視聴者には知らせないようになっている。
『では、ここで約一分間のコマーシャル。コマーシャルの後はみなさんご存じのあの大物歌手の登場です』
 いつも午後十一時二十分に耳にする奥田哲志の聞き慣れたセリフもこの状態では嫌みにしか思えない。きっと、今晩はこうなるのだろう。
『では、ここで約一分間のコマーシャル。コマーシャルの後はライブ、だったんですけど、ちょっと時間がないようなので、またの機会に』
 番組理由で出演がドタキャンになった場合は次のスロットで優先的に出演させてもらえる仕組みになっている。しかし、人気番組の場合、予定がかなり先まで詰まっているので、スロットが数カ月先になることもザラである。それに仮にうまくオファーをもらえたとしてもこちらのスケジュールが合わなければそれで「お流れ」になってしまう。
 情報番組の老舗ニュースターミナルの場合、次のスロットはおそらく最短でも二か月先である。これではデビューしたてという新鮮味が薄れてしまう。

 美波は控室のドアを開けた。
 むっとした、暖房だけでない熱気が部屋に満ちていた。空気が澱んでいる。
「タバコ、やめなさいっ」
 大声を出すと一緒に咳が出た。
「藤崎さん、もうそろそろ?」
 くわえタバコでフロアにあぐらをかいて座っていたマサルが振り向いて言った。
「マサルっ、その服で下に座らないで!アンタもよ、カツユキにケンゴ!」
 美波はマサルの着ているジャケットをはたいてタバコの灰を落とした。
「見て、白いんだから気をつけないと汚れちゃうじゃない。ほら、立ってたって」
「あ、ダメっ。フダが見えちゃうっ」
 パイプイスに座っていたタクミが大声をあげ、持っていたトランプをマサルたちから隠した。
「ちょっと待ってね、藤崎さん。今、僕、一番勝ってるところなんだから」
 美波はタクミの脇にあるテーブルを見た。
「何、これ?」
 テーブルの上はチョコレートやキャンディーの包み紙が山になっており、それに埋もれるように空になった半ダースの缶ビールが転がっていた。
「誰が飲んだの、これ?で、誰がこんなに食べたの?」
 フロアに座っていた三人が手を上げた。
「俺たち、ビール二本ずつ。で」
 マサルがタバコを缶に落としてから、タクミを指差した。
「アイツが甘いもん」
 美波と目が合うとタクミはばつが悪そうに舌を出したが、それが毒々しい赤に染まっているのを見ると、先刻の怒りがすみやかに戻って来た。
「本番前はアルコールは禁止って言ってあったでしょ!それから、タクミっ!」
 きちんと仕上げたフレンチネイルの先をナイフのようにタクミに突きつけた。
「いいの?せっかく痩せたのにこんなもん食べて?油断してドカ食いしてたら、アンタだけスーツ着られなくなっちゃうのよ!」
 自分の着ている紫のスーツを見下ろすタクミを見て、美波は大きなため息をついた。
 デビュー前、Lサイズの学生服のボタンが弾けそうなほど太っていたタクミはこの一年で同一人物とは思えないほどサイズを落としていた。生活環境の急激な変化が体重が減った最も大きな要因ではあるが、その後、過去三か月で少し太めの「原田拓海」がスタイリッシュな服が似合う「ニュームーンのタクミ」として完成した影には美波の努力があった。
「ずっと待たされて緊張が続くの嫌だったから、つい、下の売店で買って来ちゃったんだ。ゴメンね、藤崎さん」
 カラーコンタクトを入れた緑色の目がおどおどと藤崎を見返している。
「‥トイレ行って、吐いて来ようか?」
 タクミの指先が神経質にうなじの辺りの毛を梳き続けている。指が動くたびに髪がライトを受けてきらきらと光った。美波のアイデアを取り入れて、先月から金茶に染め、ところどころにハイライトが入れてあるのだ。
「やめときなさい。吐きぐせがつくと、胃がやられるし、歯もダメになるから」
 そう言った声は自分でもぞっとするほど低かった。
 テレビの世界に憧れる女子大生時代、晴れて大手テレビ局に採用され、局アナとなるべく訓練を受けていた時代、そしてアナウンサー時代。一体、何度ダイエットに励んでは体を痛めつけて来ただろう。情報番組に出て、カメラに向かっておいしそうに料理を食べても、収録が終わるなり、トイレに走って胃の中がからっぽになるまで吐いてしまう。その後何喰わぬ顔でオフィスに戻り、局の重役に誘われると二つ返事でいそいそとディナーに出かけて行く。そして重役がいなくなるとまたトイレで吐く。テレビの世界の住人だった七年間はそのまま自分のイメージを保つための壮絶な戦いだったと言える。
 美波はその戦いに耐えた。テレビの世界に居続けたかったから。
 しかし、そこまで頑張っても最終的に美波はテレビに棄てられた。
 
 美波は控室に置いていた自分のコートをハンガーから取った。
「あのね、言っとくけど、ニュースターミナルのコーナー、キャンセルになったから」
 振り向かずに一気に言い、コートに腕を通した。
「もう帰っていいって。おつかれさま」
 後ろから怒声ともうめきともつかない声があがった。
「しょうがないのよ。速報が入って時間が押しちゃったんだから。向こう事情でキャンセルってことで、また呼んでもらえるはずよ」
 なおもぶつぶつと文句を言う声は聞こえたが、誰も美波を責めるものはいなかった。
五回目で、もう諦めの境地に達してるのかもしれなかった。
 美波が空いた手で手早く菓子の包み紙とビール缶を集め、ゴミ箱に捨てているうちに、メンバーが帰り支度を始める気配が伝わって来た。
「着替えるの?だったら出て外で待つけど」
「あー、荷物になるとヤだからこの上にコート着て来たんだ」
「オレも」
「僕も」
 振り向くと、マサルたちが原色のスーツの上にコートをはおっていた。
「じゃあ、もう帰りましょ。寒いからタクシーでも呼んで。‥局からお車代ぐらいは出してもらえるだろうから」
 美波は何台タクシーを呼ぼうかと考えたとき、急に、もう一人のメンバーを思い出した。
「カオルは?どこか行ってるの?」
「あそこ」
 後を振り返って、黒い革ジャンの下から赤いスーツのジャケットの裾がチラチラのぞくのをいやそうに見ていたカツユキが部屋の隅を指差した。
 柱の蔭からマスタード色のパンツを履いた長い足が見えている。
「何やってるの、あんなところで」
「練習じゃない?」
 カツユキがあっさりと言った。
「練習って、いつから?」
「ずっと前から。最初、実際に弾いてたんだけど、うるさいから弾くの止めさせたんだ。だから、今はコード見ながら弾くまねしてるはず」
 美波は柱に近づいた。
 小さいささやくような声が聞こえた。

 言っているのに聞こえない
 感じているのに届かない
 君に分かってもらえるだろうか
 この
 Ah Strange
 So Strange
 It's a so strange feeling
(*この部分はなんでもいいんです。テキトーテキトー)

 カオルが歌っていた。今晩テレビで演奏するはずだった「ストレンジ・フィーリング」のコーラス部分だった。
「カオル?」
 美波は床に散らばったギターコードの紙を踏まないようにそろそろと歩いた。
 薫はパイプイスに座り、ベースギターを抱えていた。
 目は半眼で、視線をギターを弾く真似をする右手をじっと凝視している。
 右手はワイヤーには触れないものの、規則正しく動き、着実に耳に届かない音を奏で続けている。話し声がし、私物を片づける雑音が絶えずバックで聞こえているのに、ここだけが完全に外界から切り離されているように感じられる。
「カオル」
 ギターを練習する薫には何か近寄りがたいものがある。オーラのような何かが。
 しかし、いつまでもこうして放っておくわけにも行かない。
 美波は手を伸ばし、その肩に触れた。
「聞いてた?今晩のライブ、キャンセルになったのよ」
 肩がびくり、と上がり、薫が目を見開いてこちらを見た。
「あ、藤崎さん?」
 夢から覚めたときのようにぼんやりした声で美波の名前を呼ぶ。
「もう、本番ですか?」
 どこか草食動物を思わせる怯えたような目で薫は美波を見上げた。
 美波は思わずまばたきを繰り返した。
「聞いてなかったのね?あのね、カオル。今日のキャンセル。演奏ないの」
「ほんとに?」
 薫の追いつめられた表情がゆっくりと弛み、笑顔を作った。
「よかったぁ」
 そう言い、大きく伸びをする。
「よかったぁ?」
 美波はあきれて薫の言葉を繰り返した。
「どうして「よかったぁ」なの?」
「うん。だって、そしたら弾かなくていいでしょ?」
 全身から漂っていた、さきほどまでの悲痛なオーラはすっかり消えていた。

 どこも似たり寄ったりなのだが、テレビ局の建物は通路が異様に長く、しかも錯綜している。将来を考えずにまず最初の建物を作り、それから無理な建て増しを続けたせいだとも言われているが、ここ数年の間に新しく作られた建物ですらそうなのだから、もともとテレビ局と迷路は切っても切り離せない関係なのかもしれない。
 その通路を美波はニュームーンのメンバーを従え、足早に歩いていた。
 何しろもう深夜である。タクシーをさっさとつかまえて帰らないことには翌日からの仕事に差し障る。明日は神奈川をベースにするローカルラジオ局でのプロモーションが一つとウェブサイト上でテレビ&ラジオ放送を展開するベンチャー企業でのライブ・チャットの企画があるのだ。

 通路の果てに人影が見え、だんだん大きくなった。こちらへ向かっている。
 人影がさらに近づき誰か分かるようになると、美波の鼓動は激しくなった。
 メンバーの足音を後に聞きながら、美波は首を巡らせてどこか脇道がないか探した。
 しかし、その間人物は既に美波に気づいていた。
「やあ、美波じゃない」
 大きな手が伸び、美波の肩を強く叩いた。
「こんなとこで奇遇じゃないか」
「今晩は‥‥有本さん。お久しぶりです」
 美波は逃げ出すのをあきらめると、目に力を込めて相手を見返した。
「聞いたよ。今、バンドのマネージャーやってるんだって?」
 有本はそう言いながら美波の背後を見た。
「何だい、この縁日のヒヨコみたいにカラフルなのは。ひょっとして、この子たち?」
 メンバーはスーツの上にそれぞれコートやジャケットを着ていたが、その下は原色のパンツのままだった。
「EMNから今度デビューする「ニュームーン」です。よろしくお願いします」
「ふーん」
 有本孝治は品評会でペットを見るような目つきで五人を頭のてっぺんから爪先までじろじろと見た。
 美波はこの目つきをよく覚えている。着替えとメイクが終わった美波が番組の最終打ち合わせに来ると、いつも有本はこの目つきで彼女を時間をかけて見、おもむろに服装やメイクについて何か辛辣なことを言っていた。
「まるで歩くカラー調整だ。髪もいろんな色してるし。バンドというよりコメディアンに見えるな」
「これは、80年代のファッションを意識したつもりです」
 背後でタクミが怒り狂っているのを感じながら、美波はつとめて冷静に有本のコメントに答えた。
「なるほどね。君がお立ち台で扇子振って踊っていた時代のリバイバルというわけだ」
「もっと正確に言うと、80年代前半。私がまだ中学生の頃です」
 有本は大声で笑い出した。
「おい、聞いたか、ボクちゃんたち。このおばさ、おっと、おねえさんはずいぶん時代考証にこだわってるぞ。ボクちゃんたちにとっちゃ、どっちだろうと変わりないのにな。まだ赤ん坊だったろうからさ」
 ポケットに両手を入れたまま、顔を上げ、大げさに笑う有本の頭のてっぺんが通路のライトを薄く反射していることに美波は気がついた。
(私は今まで気がつかなかったけど、マサルたちには最初から丸見えだったはず)
 こう思うと、怒りがちょっとだけ和らいだ。
 大学出たてで、まだ業界の右も左も分からない美波にセクハラまがいのいたずらをしては喜んでいた「奥様キラー」ことニュースキャスターの有本孝治も、そろそろトレードマークの豊かな髪が乏しくなる年齢になっているのだ。
 そう考えて改めて観察すると、有本のグレーのスーツパンツにダークグリーンのペイズリー柄がついたベストにサーモンピンクのシャツという取り合わせは若作りすぎ、おしゃれを通り越して悪趣味に思えた。
「ところで有本さんはこんな遅くにお仕事ですか?」
 美波の問いに有本はちょっと眉を上げてみせた。
「ああ。深夜枠で「れ・見せらぶる」ていう情報番組の司会。この時間に生だぜ、生。ま、でも、進行なんてあってないようないーかげんな番組だから、こうやってギリギリに駆け込んでも一向に構わなくて楽だけど」
 そういう息が酒臭かった。
「美波はこれからボクちゃんたちをねんねさせるんだろ?ま、そのうち番組に遊びにおいでよ。「魔性の女、藤崎美波 カムバック!」ってテレビガイドに載せるからさ」
 有本は片手を上げ、兵隊のように美波に向かって敬礼すると、歩き出した。だが、数歩行ったところで立ち止まった。
「ボクちゃんたち、美波には気をつけるんだよ。なんせ、このおねえさんは言い寄った男を地雷でふっ飛ばしたんだから」
 美波は有本が通路を曲がって姿を消すまで、じっとそこに立ちつくしていた。
「今の、有本孝治だよな」
 カツユキがケンゴにささやいた。
「何だっけ、番組名忘れたけど、ずっと前はニュースのキャスターやってたんだよな。あ、サインもらっときゃーよかった」
 ケンゴが心にもないことをいい、それからクスリと笑った。
「ねえ、藤崎さん。今さ、有本孝治が最後に「地雷がなんとか」って言ってたよね。あれって」
 タクミのカラーコンタクトを入れた目がライトを反射して緑に光った。
「西田文彰のこと?」
 美波はハイヒールの踵を浮かせた。
 一つ、大きな鼓動がして全身の血が一気に逆流したような気がした。
 あれは四年前だから、彼らはまだ中学生だったはず。
 でも、知ってるんだ。
「ええ、そう。私が前、出ていた報道番組のキャスターよ。一九九七年、取材中に地雷を踏んで亡くなったの」
 窓に写ったほつれ髪の自分の姿が一瞬、幻のように見えた。
 やはりテレビの世界に戻ると、きっちり閉めたはずの扉が開いて、過去の亡霊がよみがえってしまうのだ。
「カンボジア、でしたよね」
 珍しく薫が口をはさんだ。
「カオル、その頃のこと、覚えてないんじゃないの?」
 タクミに指摘されると薫は一瞬きょとんとした顔をし、それからうなずいた。
「あ、うん、そうだよ。僕の記憶じゃない。たぶん最近インターネットか何かで読んだんだと思う」
「で、西田文彰と藤崎さんって‥‥」
「やめなよ」 
 薫がタクミの言葉をさえぎった。
 タクミはなおも口を開きかけたが、薫の険しい視線を感じてあきらめたようだった。
「じゃあ、帰ろう、藤崎さん」
 薫が軽く藤崎の背に触れた。
 いつも物思いに耽っていて実質的にはあまりニュームーンの役に立たない薫だが、こういうときには思いやりがあり、なかなか気がきくところもある。特に藤崎に対する態度は他のメンバーより丁寧で、いつも藤崎を立てるようにしてくれている。
(今日みたいな夜はカオルでも誘って二人で飲みに行きたい気分)
 西田の件を無理に記憶の彼方へ押しやって、美波は薫に向かって微笑んだ。
「ね、ちょっと」
 歩き出した美波に後ろからマサルが声をかけた。
「藤崎さん、オレ、いいこと思いついたんだけど」

# by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:56 | 第1部第4章(1) | Trackback | Comments(2)


by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:58 | 第1部第4章(1) | Trackback | Comments(2)
2004年 07月 09日
第4章(2)
「えっと、次のコーナーは‥えーっと、何だったっけ?」
 テーブルの上に無造作に置いた番組進行表を眼鏡をかけて見ながら有本孝治が言った。
「「シネマ・れ・見せらぶる」か。ゲストはナシ、と。‥オイっ、樋口、ビデオ準備できてる?じゃあ、始めるか」
 新作映画のプロモーションビデオを放映中、映画紹介の資料に目を落としていた有本は近づいてくるハイヒールの音でようやく顔を上げた。
「え?美波じゃない。何でここにいるの」
 美波は有本の側にゲスト用として置いてあるイスに足を揃えて座った。
「ビデオ、間もなく終わります」 
 調整室からの声が入る。
「有本さんにご招待いただいたから、来ることにしました」
 有本は怪訝な顔をした。
「あれは、まあ、あいさつみたいなもので‥困るよ、美波」
「あら、「遊びにおいで」っておっしゃったのは有本さんですよ。それに進行があってないような番組なら私がお邪魔してもいいんじゃありません?」
 そこまで言ったとき、有本を正面から写すテレビカメラの横の小さい緑のライトが点いた。
 視聴者はビデオが終わると同時に少し慌てたようすの有本を見たはずである。
「えっと、来週木曜日からロードショーのフランス映画「女たちは泥棒」でしたっ。上映は各地の、えーっと、東新系映画館です。はい、ではここで今晩のゲストっ」
 もう一つのカメラが美波をアップで捉えた。
「元・旭日テレビアナウンサー、現在はフリーで活躍中の藤崎美波さん」
 美波は大きく目を見開いてカメラを見据え、次の瞬間、目を細めにっこり微笑んだ。
「今晩は」
 有本は約三秒ほど絶句していたが、トークのプロだけに、その後はまるで原稿を読み上げるようにすらすらと話し出した。
「藤崎くんは旭日テレビ時代は美人アナ三人娘の一人として報道にドラマにバラエティにとひっぱりだこだったわけだけど、局アナからフリーになって、それから少し休業してたんだよね。アメリカだっけ、行ってたのは?」
「ええ。シカゴに二年行ってました」
「シカゴで何してたの?」
 美波は少し目を宙にさまよわせてから、不意にいたずらっぽい表情をした。
「ボーイハント」
 有本はあごが二重になるくらい大仰にうなずいた。
「ふうん。で、結果は?」
「そうですね。やっぱり日本人のほうがいいなって思いました」
「だから、帰って来たというわけだ。で、今は、どうなの、つきあってる人はいるの?」
「ええ」
 美波はきっぱりと答えた。
「おっと、いきなり重大発言か!誰なの、だれ?」
 視聴者を意識して有本は両手を広げた。
 美波はちょっと首をすくめて見せた。
「ここまで来たら、もう言うしかないよ、藤崎くんっ。言っちゃえ!」
 美波はカメラが真正面から自分を写しているのを意識しながら、口を開いた。
「実は、今晩ここに来てます。では、Fスタ、どうぞ!」
 習慣とは恐ろしいもので、完全なハプニングにもかかわらず、その時調整室で番組を構成していたプロデューサーは反射的に美波の言葉どおりカメラをFスタに切り替えてしまった。
『おい、一体何だよ!』
 当惑した有本が周囲を見回しスタジオ内に響き渡るほどの大声を上げたが、そのようすは放送されなかった。

「Welcome to Club New Moon.」
 真っ暗なスタジオにマサルのイントロが流れた。
「Hi, there. This is Masaru」
 マイクスタンドの前に立つマサルにスポットライトがあたった。マサルはメンバーを
指差し、次々名を呼んでいく。そしてライトは指名を追って、それぞれを暗闇の中に浮かび上がらせた。
「Katsuyuki, Lead guiter」「Kaoru, Bass guiter」「Kengo, Drums」「Takumi, Keyboard」
 マサルの右手がスポットライトを掴むように宙に向かって伸びた。
「LET'S HAVE A PARTY TONIGHT!」

 有本はなおも叫び続けていたが、美波はモニターに映るニュームーンの演奏を食い入るように見つめていた。
 作戦はうまくいった。Fスタはさきほどキャンセルになったニュースターミナルの別スタジオで、マサルたちが戻った時もまだセットはさきほどリハーサルをしたときのままになっていた。そしてマサルがFスタのスタッフをうまく言いくるめてスタンバイしている間、美波は有本をつけて、まんまと「れ・見せらぶる」の収録スタジオに潜入し、ハプニングを起こすチャンスを待っていたのだった。
「おい、美波。おれは二度とお前を番組に呼ばないからな!」
 有本が血走った目で美波に指を突きつけた。
「ええ、結構です。私はこれからマネジメントに専念しますので。でも、もしニュームーンの出演依頼がございましたら、優先的にスケジュールを調整いたします」
 怒りのあまり言葉が出ず、そのとき美波の言葉に言い返すことが出来なかった有本は幸運だったかもしれない。なぜなら、その後美波は約束どおりニュームーンを有本の番組に優先的に出演させ、その結果、「れ・見せらぶる」はニュームーンが出演する日には深夜枠としては驚異的な二ケタ代の視聴率を得たのだから。

 それにしても、カオルが演奏中にずっと目をつぶってるのが気になる。あのクセを何とかしなくては。
 眠くてうつらうつらするのをこらえながら、美波は帰りのタクシーでそんなことを考えていた。

# by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:57 | 第1部第4章(2) | Trackback | Comments(3)

by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:55 | 第1部第4章 | Trackback | Comments(3)