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2004年 07月 09日
THE DELICIOUS BOY CHAPTER-3 Edinburgh~Stornoway 「さむい、さむい、さむい、さむい、さむい〜」 タクミはイスに座り膝を曲げたまま、激しく足をバタつかせている。 「ねー、さむいよ、さむいよ、さむいよ、さむいってばー」 「うるせっ」 ケンゴがスニーカーを履いた足で、縁に毛皮のついたロングブーツを蹴った。 「お前さ、寒いときに『さむい、さむい』言ってもあったかくならないって親に言われたことなかったか?」 「言われなかった。「じゃ、ヒーターつけなさい」って言われてた」 「ったく、そういう育ち方するからぜんぜん根性がねーんだ」 「さむいのと根性は関係なーい」 「あるっ」 マサルはテーブルについた肘に頭を載せて、それを面白そうに見ている。 エジンバラの二日目は早朝からあわただしく始まった。 まず、搭乗手続きに時間がかかるので、機材を満載したビデオ撮影スタッフのバスが先発隊としてホテルを出て空港に向かい、その間に残ったスタッフとメンバーはホテルのカフェで朝食を済ませておくことになった。 「メニューくれ」 テーブルに突っ伏した姿勢でカツユキが手を上げた。 「食べられる、朝ご飯?」 薫は壁の状差しにあったメニューのコピーを手渡してやる。 「無理にいま食べなくても、飛行機に乗れば何か出るんじゃない?」 「くそ。意地でも喰ってやる。吐きながらでも喰うぞ」 言葉とうらはらに声は弱々しかった。 結局、今朝三時を少し過ぎた頃に酔って上機嫌でホテルに戻って来たマサルとカツユキは、待ち構えていた藤崎にこっぴどく叱り飛ばされたらしい。 まだ怒りが収まらないのだろう、今朝の藤崎は少し離れたスタッフのテーブルでさっさと先に食事を始めており、ニュームーンのメンバーは入り口近くのテーブルにほったらかしにされていた。 「あー、こんなときに英語読むと余計にアタマ痛えー」 「タクミに読んでもらえば?」 「やだ。俺のプライドが許さない」 カツユキはその後、横を通ったウェイターにメニューを指差し、身ぶりだけで何やらオーダーしていたが、数分後、運ばれて来た脂ぎった極太ソーセージと黒こげになったマッシュルームがのったトーストを見るなり、口を押さえてトイレに駆け込んで行った。 「は〜あ、あれじゃ今日一日ゲーゲー袋持ってなきゃならないだろうな」 カツユキの皿からトーストだけつまんで食べながらマサルが言った。 「マサルだって一緒だったんでしょ?どうしてカツユキだけあんなになってるの?」 マサルは薫の問いに目を細め、首をすくめた。 「アイツさ、三軒めにいったパブで、地元の連中にあおられてスコッチの一気飲みしたんだよ。オレはウィスキーとジンジャーエール交互に飲んで適当にごまかしてたんだけど、アイツは「サムライ・スピリット見せたる!」なんて向こうが根を上げるまでマジでガンガン飲んじゃったんだよな。ほんと、急性アルコール中毒で倒れてもおかしくないくらいだった」 そう言うマサルの背後でトイレのドアが開き、カツユキが出てくるのが見えた。しかし、こちらに歩いてくるのも辛いようで、途中の空いたテーブルに手をつき、そのままテーブルを抱えるような体勢で、手近なイスに沈み込んでしまった。 「あーあ、あんなんで今日の撮影できるのかな」 コーヒーに合成甘味料を入れてかき回しながら、タクミがつぶやいた。 「島まで行っても撮影中止、なんて」 スタッフ席から「純ちゃん」とスタイリストの「早苗ちゃん」が駆け寄って、カツユキに二言、三言声をかけたが、カツユキはビクともしない。 「カツユキ、本当にやりたくねーんじゃねえ?」 困って立ちつくす女の子二人に「今、行く」と合図をしながらケンゴが言った。 「撮影を?」 「うん。今度のは演奏だけじゃなくて「お芝居」のパートもあるだろ?あれ、死ぬほどイヤだって言ってたぜ、アイツ。‥‥オレもだけどさ」 そう言うと、ケンゴはカツユキの方へすたすた歩いて行った。 確かに。 演奏ではものすごくノッて普段の120%は「見せる」カツユキも設定つきのアクション(お芝居)ではケンゴと並んでとんでもない「大根」だった。しゃべらせればうわずる、歩けば足がもつれる、カメラを無視して自然に撮られるところでも、つい卑屈な上目遣いでカメラを凝視してしまうのだ。 「ヒストリー・リターンズ」では島の各方角にバラバラにいるメンバーがカラニッシュの遺跡に惹かれて集まり、一緒に歌うという大まかなストーリーが提示されている。セリフはない。しかし、それでもケンゴとカツユキには憂鬱の種らしい。ちなみに残りのメンバーは「お芝居」を苦にしていない。マサルはもともと芸術科の演劇専攻なのでパフォーマンスは喜んでやるほうだし、ロールプレイングゲームにはまっているタクミは舞台やコスチュームが大掛かりなほど熱心に参加する。去年日本で撮った「シップレック・ソング」では海賊の役を嬉々として演じ、今回のスコットランド撮影でも、何とかコスプレをしようとディレクターを口説いているところである。薫はというと、演技が取り立ててうまいわけではないが、「ニュームーン」の大石薫としてカメラに追いかけられるよりは、「お芝居」で、薫でない何者かを演じているが楽だと割り切っているフシがある。同じく「シップレック」で鎖につながれた囚われの貴族に扮したときは、反響がすざまじく、ビデオを見たファンの「カオルをいじめないで」「カオル、ステキ!」といった書き込みで公式ウェブサイトのサーバーがダウンしたくらいだ。 ケンゴがカツユキの肩に手を置いて何か言い、カツユキがテーブルに顔を押しつけたままで首を振った。 「なんか、荒れてない?カツユキ」 タクミの問いに、マサルは肩をすくめて見せた。 「どうかな。海外ロケなんで、少しハメ外しすぎてるだけじゃないのか」 薫は黙ってここから離れたテーブルにいる藤崎を見ていた。 カツユキが荒れる理由があるなら、昨日の一件しか考えられなかった。 リードギターとベースギターは機能も役割も全然違っている。シロウトから見れば同じギターでどちらが何を弾こうと変わらないのかもしれないが、弾く側には決して交わることのないきっちりした境界線がある。カツユキからすれば、自分の演奏で録音したリードを薫がシンクであたかも自分が弾いているように見せるなどというのは許しがたい行為に思えたはずだ。 では、なぜ当人たちが望んでもいないパート交換などというプランが出てくるのか。 答えはバンド「ニュームーン」を支持するファン層にある。 ニュームーンとCDの販売契約をしているEMNレコードが去年CD購買者を対象に行った調査によると、リードギター白木克之のファンは十五歳から二十五歳の男性で、「リードギターの技術」を彼を支持する理由としてあげている。これに対し、ベーシスト大石薫のファンは十二歳から四十三歳までの女性で、「ルックス」「ファッションセンス」「プロモーションビデオ」を主な支持理由としている。そしてほぼ同じ時期にニュームーンが所属するフラッシュプロダクションが独自に行ったリサーチでは、コンサートチケットの購買者の多くが十代後半から三十代前半の女性で、その傾向はファンクラブの会員構成とも合致している。 つまり統計では、カツユキのファンよりカオルのファンのほうがCDやコンサートチケットの購買力があり、会社側に利益をもたらしているのである。 デビュー当時、その音楽性と演奏テクニックが売り物だったニュームーンだが、こうした調査結果が出た後は、重点は音楽よりむしろビジュアル効果に移行し、新たにシングルカットされた曲には必ず短編映画なみの莫大な予算と最新技術を投入したプロモーションビデオが製作されるようになった。 「Welcome to Club New Moon」(デビューアルバム、02年)年間総合十八位 *「Strange feeling」(*:シングルカット) *「Communication breakdown」 *「Pathetic」 「Unhappy Valentine」(E.P&RemixCD、03年) 年間総合九位 「Don't be serious」(セカンドアルバム、03年) 年間総合五位 *「My electric lover」 *「The Shipwreck song」 *「A little drummer」 特に去年発売の「シップレック・ソング」と「リトル・ドラマー」はプロモーションビデオの評価が高く、なかでも「リトル・ドラマー」はアジアのアーティストとしては初めてMTVヨーロッパ・アワードのビデオクリップ部門にノミネートされた。結果として受賞はなかったが、これに気をよくしたEMNは急遽「ドント・ビー・シリアス」のDVDをクリスマス時期に合わせて製作・発売し、それは十二月のDVD売り上げのトップとなった。 そして、2004年。 EMNはニュームーンを日本国内及びアジア圏だけでなく、ヨーロッパ圏にも売り出すことを発表し、本格的なプロモーションを開始した。 サードアルバムのデモテープが完成するやいなや始まったこのスコットランドロケもその一環で、現地でビデオを撮影することによってヨーロッパ市場にメンバーを印象づけることを目的としている。そして一方で、日本及びアジア圏にはこれまでのフィードバックを基に、彼らが最も好むようなイメージのプロモーションビデオを製作し、さらなるファン層の拡大と販売強化を狙っている。 カオルとカツユキのパートを交換すれば、ボーカルのマサルの次に多くカオルのシーンをビデオに挿入することができ、ファンを満足させられるだろう。いかにも映像製作ではトップクラスでも音楽的には門外漢の林と、とにかくニュームーンの売り込みに全力をかけている藤崎の考えそうなことである。 ビデオ撮りの段になって、急に言われるのだろうか。 昨夜会った時に藤崎にそのことを直接聞いておけばよかったと薫は少し後悔した。 エジンバラからインバネスは飛行機でたったの四十五分しかかからず、一行は八時にはインバネスの飛行場に降り立っていた。短時間での移動を考えればエジンバラからルイス島に直接飛ぶルートが一番早いのだが、途中インバネスを経由すれば、有名なネス湖を撮影に入れることができるうえ、フェリーで海上のシーンも撮れるので、撮影チームは敢えて遠回りのコースを取ることにしたらしい。 とはいえ、バンドのメンバーにとってはこれもただの空間移動に過ぎないのだが。 「ほら、降りて」 バスが止まると藤崎はドアを開け、容赦なく彼らを外へ追い立てた。 「もう、着いたの?ここ、どこ」 「ネス湖」 「え、ネス湖!!」 「そうよ。さっさと外に出て、顔と髪セットしてもらいなさい」 今日は屋外の撮影が多いためか、藤崎はスーツ姿でなく、ベージュのバックスキンのハーフコートに同色のコーデュロイパンツを履いていた。足もハイヒールでなく、膝までのロングブーツである。 「やっぱりここもさむいーっ」 ムートンのロングコートにスキーパンツ姿のタクミがバスを出るなり悲鳴をあげた。 日本を出国前に入念に脱色してから染めた自慢の金髪はビーニー帽をすっぽり被っているので、見えない。 「何だか湿っぽいところだな。空気が濡れてる感じがする」 マサルが二、三度深呼吸して言った。 「おい、カツユキ、出ろよ」 「ちくしょう。もう着いたか」 エジンバラでじゅうぶん吐いたせいか、カツユキはだんだん回復しているようである。飛行機では死んだように目をつぶったままだったが、今はスポーツドリンクを片手にふらふらとバスから降りて来る。 「大丈夫?」 後に続いていた薫はカツユキがよろめくと慌てて体を支えたが、カツユキは首を振り、薫を押し返した。 「‥いいよ。お前だと背が高すぎて、かえって歩きづらい。おい、ケンゴ、ヘルプっ」 「へいへい」 肩を組むようにして歩く二人の後を少し離れて歩きながら薫は空を見上げた。 灰色の雲で覆われた空はびっくりするほど間近に見えた。 「イギリスはいつも天気が悪い」と聞いていたから、エジンバラの空がいつも灰色に見えても別段違和感には感じなかった。今朝、飛行機に乗っていた時も窓から見えるのは一面の薄雲だけで、地上の様子はまったく見えなかった。 しかし、今、頭上にある空は、まるで薄墨を水の中でかき回しているように暗い雲が絶えず流れ、生き物のごとくうごめいている。 (まるで、悪夢に出てくる風景みたいだ) 薫は無意識に手袋をはめたままの指先で自分の髪に触れていた。 左側のこめかみから耳の上まで約十センチほどのところに生えている毛が幅三センチほどの割合で白くなっている。タクミと違ってこれは天然で、地色に合わせて黒く染めてもすぐ根元から白く戻ってしまう。デビュー当時は気にしてまめに染めていたが、藤崎の「コントラストになるから、置いておけば」という意見を取り入れて、この一年ほど白いままにしてある。 ちょっと毛先を触った程度では分からないが、白髪の部分を左右に分けると、地肌にちょうど同じ長さの縫った跡があるのが分かる。 その傷を負った事故からもう三年以上経ち、今では夢に見ることも滅多になくなったのだが。 そこがうずいたような気がした。 カメラのセットが完了し、メイクとヘアが出来ると、湖畔にあるアーカート城の城跡で撮影が始まった。 アーカート城は一九(後で調べる)年に「ネッシー」の写真がそこで撮られたことで世界的に有名であり、ネス湖のなかでも景色の良い観光スポットとなっている。 メンバーは城跡をバックで、水辺ぎりぎりまで寄って、といろいろな角度でポーズを取らされた。 「マサル、ちょっとしゃがんで小枝かなんか拾って」 「ケンゴくん、水面に向けて石投げやってみてくれない?」 「タクミくんはやっぱ帽子取ったほうがいいな‥純ちゃん、髪直してあげて」 肩を組め、とか、一斉に笑ってみせろ、という無理なポーズは要求されないものの、矢継ぎ早に指示が出され、人が周りを行き交うのを見ているとやはり疲れてくる。特にカツユキは撮影が続くにつれて不機嫌になり、この曇天にもかかわらず黒いサングラスをかけ、地面に足を投げ出して座り込んでしまった。 「ネス湖ったって、ネッシーが出て来なきゃ結局はただの湖だよな」 「そうだね」 薫はカツユキに同意した。 ネス湖はこのあたりに大小数多くある湖の一つである。英語表記だとLoch Ness(ロック・ネス)となる。ロックはスコットランドの言葉で「沼・湖」を意味するので、日本語は「ネス湖」と訳されたようだが、肝心のネッシーはこちらでは「ネッシー」とは呼ばれず、「ロック・ネス・モンスター」と呼ばれている。 「昨日、インターネットで調べたんだけど、最後にネッシーが目撃されたのが一九八(後で調べる)年で、それ以来目撃情報が途絶えてるんだってさ」 「ふーん。じゃあ、もう十五年以上見てないってことじゃないか。てーことは、もう絶滅してるんじゃないか?」 「かもしれないね」 「それなのに、今、こんなとこ来て写真撮ってる俺たちって、すごくバカじゃねー?」 「‥‥そうかも」 「ちくしょう、尻がつめてー」 それほど長くいないのに、湿気が髪と服を重く濡らしていた。カツユキの赤革のジャケットは水を吸って黒ずんで見える。 「だいたい、ネッシーだかモンスターだか知らないけど、こんな寒くて水温も低いようなところに住めねーんじゃないのか」 薫は目を凝らして遠くの水面を見た。水深があるため透明感のない暗い水面はしんと静まり返っており、ネッシーはおろか魚の影すら見えなかった。 「そんな感じだね。‥なんか、ちょっとガッカリだな。ひょっとしたら、ちょうど来たときに見られるかもしれない、なんて少しだけ期待してたんだけど」 「現実はそんなに甘くねーってことだ」 地面に座ったカツユキとその横に立っていた薫は顔を見合わせ、どちらともなく吹き出した。 その瞬間も逃さず、カメラのシャッターが下りた。 # by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:51 | 第1部第3章(1) | Trackback | Comments(2) 2004年 07月 09日
ネス湖のロケの後、バスはまっすぐウラプールの埠頭に向かい、一行は無事十時半発のフェリーに乗ることができた。 「せっかくなんだから、ぱあっと豪華ヨットでもチャーターして行けばいいのに」 マサルの脳天気なコメントを藤崎がぴしゃりとはねつけた。 「馬鹿言ってるんじゃないの。これから行くところはトロピカルな南の島じゃなくて、荒波の先の北の島よ。それにね、ルイス島は今でも戒律の厳しいキリスト教に従った生活をしているところで、アンタたちが期待しているような娯楽は一切ないの。日曜日は店が全部閉まって、飛行機もフェリーも運航しないくらいなんだから」 「え?」 「今日は土曜日よね?だから、私たちは月曜の朝までそこにいることになるわ。マサルもカツユキも二日酔いを醒ますのに絶好のチャンスじゃないかしら?」 マサルをやり込めたことで満足したのだろうか、藤崎の機嫌は直ったようである。 「さて、こうやって、ただフェリーに乗っているのももったいないから、ストーノウェイに着くまでの約二時間半をインタビューに充てることにしといたわ。前にも知らせたと思うけど、「ヒストリー・リターンズ」ロケのレポートを書く吉野さんがロケ前に一人ひとりから話を聞きたいということなので。一人あたり二十分だからちょっと長めだけど、インタビューの内容の一部はヨーロッパ向けのプレスにも使われる予定なので、頑張ってちょうだい」 メンバーは顔を見合わせた。 「インタビューって、‥何について?」 タクミが不安そうに眉を寄せた。 「そうね。吉野さん次第だわ。彼はもうアンタたちのオフィシャルのプロフィール・キットを持ってるから、「好きな食べ物は?」みたいなお馬鹿な質問で始まることは絶対ないでしょう。それに、出来上がったインタビュー記事は原稿段階でこっちも目を通すことになってるんだから、いいのよ、思った通り答えれば。順番はアイウエオ順で、一番が岩下健吾で二番が大石薫、ていう風に行くわ。インタビュー前後は何しててもいいけど、終わったら私に知らせてね。次を呼ぶから」 言い終えるなり、藤崎は手をひらひらと振って「さあ、行ったいった」とメンバーを追い散らした。 キャビンの隅に置かれたプラスチックのイスに座っていた女は薫が近づいてくるのを見ると、立ち上がり、握手を求めた。 「どうも。エンターテイメント・プレス特約記者の吉野由美子と申します。どうぞよろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いします」 薫もあいさつを返し、手を握った。 スキーウェアのような上下を着ているため着ぶくれて体型はよく分からないが、見たところ三十代ぐらいだろうか。ほとんど化粧気がなく、セミロングの髪を無造作に後でまとめている。しかし、インタビュー慣れしているのか、目が合うと反射的に見せる笑顔は薫には好意的に見えた。 「わあ、やっぱり近くで見ると、カオルさんは背が高いですね。百八十‥」 「七センチです」 「そんなに。カオルさんならこちらでも高い方でしょうね」 「さあ、どうでしょうか」 向かい合って座りながら薫は首をかしげ、微かに笑ってみせた。 吉野は薫につられるように微笑んだ。 「えっと、まずは「リトル・ドラマー」のMTVノミネーション、おめでとうございます」 「ありがとうございます」 「私もこちらの番組で見ましたが、本当に素晴らしいビデオですよね」 「あ、どうも」 「さきほどケンゴさんにもうかがったんですけど、あれはもともとNGになる予定のビデオだったそうですね」 「ええ。ケンゴはスティック折るし、カツユキのストラップが切れてギターは落ちるし、僕も気がついたら指が血だらけになってて、撮り終わった時はみんな「ああ、ダメだ」なんて言ってましたけどね」 「ギターのワイヤーで切ったんですか?」 「血だらけ」と聞いて、吉野はさも痛そうな顔でカオルの右手を見た。 「はい。でもね、本人は全然痛くなかったんですよ。必死で弾いてたから。でも、終わってビデオ見てゾッとしましたね」 そう言いながら、薫はもう傷跡も残っていない右手の親指を左手でこすった。 「でも、あの、銀色のギターがだんだん血がついて色が変わって行く、白黒映像ですけど、あのシーンは本当に歌とマッチしているように見えました」 「そうですか。そう言っていただけると、ケガした甲斐があります」 ちょっとコミカルに頭を下げて見せると吉野は弾けるような笑みを浮かべた。 大丈夫、うまく行ってる。 薫は心の中でつぶやいた。 今のところ、インタビューは薫が思った通りに進んでいる。 不確かな時に首をかしげて少し笑う仕草も、少し大げさに見せる表情も、コミカルなリアクションも、何度も練習した通りになっているはずだ。笑顔も藤崎に「一番いい」と言われた表情が一瞬でできるようになっている。 これなら楽勝のはず。 しかし、次の質問を聞いた薫の表情は少し精彩を欠いていた。 「ところで、ケガといいますと、カオルさんは三年ぐらい前に電車の事故でかなりの大けがをなさいましたよね。‥そのお話を聞かせていただいてもいいでしょうか?」 「あ、はい」 薫は言葉を切った。 デビュー以来、この件についてインタビューされたことは今までない。最初はバンドの実質的なマネージャーだった高梨幸三がインタビューの内容を事前に制限し、薫が不安がるような話題を一切シャットアウトしてくれていた。その後、その役目は藤崎美波に移り、藤崎もまた、インタビューが薫の個人的な話題に入らないように加減していたはずだった。 これはどういうことだろう。 「えっと、あれは、僕の乗っていた電車が土砂崩れで脱線したんです。ちょうど台風が来ている時で、ものすごく雨が降ったから。で、その、脱線した瞬間に、電車と繋がってた架線のケーブルも切れて、僕のいた車両に高圧電流が流れたんだそうです」 思ったよりすらすらと言葉が口から出た。 「僕はその時どこかに頭をぶつけたらしくて、側頭部を挫傷しました。ほら、ちょうどここのところ」 そう言って、薫は髪の上から指でなぞった。 「そこが傷跡なんですか」 「ええ。陥没してるから、ここのところをチタン合金で補強してあるんですよ」 「痛い‥ですか?」 薫は笑ってみせた。 「今は全然、大丈夫。でも、なぜか、そこが白髪になっちゃって。まあ、ハゲるよりマシだけど」 薫はこの言葉で吉野に笑みが戻るだろうと思った。 が、吉野は思いつめた表情のままでカオルの側頭部を見ていた。そして口を開いた。 「そしてですね、これは関係者にうかがったんですけど、その事故でカオルさんはそれまでの記憶が全部なくなってしまったということなんですが‥‥本当でしょうか」 不意に吉野との距離感が分からなくなった。 まるで熱が出ている時のように体の感覚が鈍くなった。 「カオルさん?」 「あ、大丈夫ですよ。予想外の質問が出たんで、ちょっと動揺しちゃいました」 苦しまぎれにカオルは視線を吉野からそらし、目を伏せた状態で横を見る、藤崎に「一番セクシーだ」と言われた表情で腕組みをした。直後に見た吉野の反応から察すると、うまく出来たようだ。 そして、目をつぶった。 「ええ、本当です」 「それ以来、記憶は戻ってないんですか?」 「あ、ええ。変なんですけど、ギターを弾いたりするときの感覚は戻っていて、昔、弾いてた曲なんかはまったく問題なく弾けるんですよ。でも、昔の記憶とか、感情とかいったものはダメですね。いろいろ見せられたり、聞かされたりしても、全然実感がなくて、何だか誰か他人の話みたいに思えるんですよね」 ちゃんと喋っている。薫は自分でも言葉をモニターできるようにゆっくり話していた。 今、言ったことは本当だ。 昨日、エジンバラで即興でThunderstruckを弾いた時もそうだった。あれはタクミやケンゴによると薫の一番気に入っていた曲で、薫がリズムギターを担当する時は、まずあれをざっと弾いてチューニングの具合を確かめていたらしい。だから、昨日もそうしたのだ。 「あの、カオルさんは記憶がないご自分についてどう思われますか?」 「え」 薫は口ごもった。 そんなこと、考えてみたこともなかった。 薫は吉野から目をそらせ、周囲を見回した。 キャビンから見えるぶ厚い二重ガラスは波しぶきが乾いて残った塩分で曇っていた。その向こうに人影がちらちらするが、着ている服の色合いがやっと分かる程度である。 この寒さの中、甲板に出るのは地元の人も含めほとんどいないだろう。 きっとケンゴだ。そう思った。 「‥記憶がない自分ですか‥」 口は勝手に吉野の質問を繰り返していた。 「ええ。例えば、恐いとか、悲しいとか、怒りを感じるとか‥」 ああ。あった。 そんなものでは済まない、もっとぐちゃぐちゃした感情に翻弄されて気が狂いそうな時期もあった。本当に死を考えたこともあった。辛かった。 でも、それは「記憶がない自分」に向けられた感情ではなかった。 それは。 「そうですね‥そういう感情は確かにありました。でも、頭のケガが良くなって病院を退院する頃になって事故について聞かされて、あの事故で僕の車両にいた人たちがほとんど死んでしまったんだと知ってからは、「記憶は戻らなくても、命は助かったんだから」って思うことにしたんです」 前もって準備していなかったにもかかわらず予想外の模範的な回答が口から出て来たことに薫は自分でもちょっと驚いた。 「‥それに、体が良くなってから、すぐにメジャーデビューが決まって、もう、その後はだだだだだだっと、こう来ちゃっているでしょ。だから、あまり記憶がないとか、事故がどうだとか考えてる余裕がないんですよね。タクミとかも言ってるけど、「今のニュームーンの自分は昔の自分と全然違う」って。だから、もし記憶があったとしても、昔の自分と今の自分は違うだろうから、別に影響ないかな、なんて」 薫は目を伏せたまま一気にそう言い、言い終わった瞬間、顔をあげ、目を細めて唇をわずかにゆがめ笑った。 そして、次の質問を待った。 しかし、吉野は黙ったままだった。 「ええと、あの、僕、何かへんなこと言いました?」 薫は急に不安になった。自分ではちゃんとやっていたつもりだったが、どこかでヘマをしでかしたのかもしれない。 「あの‥」 吉野のきつく結んだ唇の端はひくひくとけいれんしていた。目が合って、薫の困ったような顔を見ると、大きく首を振った。 「あ、すみません。やだわ、私、すっかり取り乱しちゃって」 「え?」 「カオルさんの話をうかがってたら、つい、私の方が悲しくなってしまって」 そう言いながら、吉野は天井を見ながら、大きく深呼吸した。 「実を言うと、私、カオルさんがここまで率直に話して下さるなんて期待してなかったんです。きっと、何か話をそらしたり、ノーコメントかなにかでごまかされてしまうんじゃないかな、と思ってました。でも、こうやってお話を聞いてしまうと、今度は申しわけなくなって」 吉野は両手で頬を強くこすった。手を離し、頬に赤みがさすと、吉野の顔は数段若く見えた。彼女は腕時計に目を落とすと、声をあげた。 「あ、もう時間ですね。すみません、こんな風に唐突に終わってしまって」 薫は首を振った。 「いえ。僕こそ、あんまりはっきりしない答えばかりで。でも、事故について話を聞かれるのは本当に初めてだったけど、ちゃんと話ができてよかったと思ってます」 「事故の話はもううかがいませんが、また「ヒストリー・リターンズ」のロケの合間にでもお話を聞かせて下さい」 「ええ、いいですよ」 薫はイスから立ち上がった。 「じゃ、僕、これで。藤崎さんは次にカツユキを呼ぶと思いますけど、吉野さんも少し休憩した方がよさそうだから、次のインタビューまで十分ぐらい空けてもらっときますね」 片手を肩のあたりまで上げ、「バイバイ」と振って見せると、吉野がイスに座ったまま反射的にぺこんと頭を下げた。 吉野から背を向け歩き出しながら薫は大きく息をついた。 事故のことが自分の中で過去になりつつある。 それは新鮮な感覚だった。 # by kaoru_oishi | 2004-07-09 15:52 | 第1部第3章(2) | Trackback | Comments(3) < 前のページ次のページ >
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