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2004年 07月 09日
THE DELICIOUS BOY CHAPTER-2 東京2001年夏 その日の東京は前の日が熱帯夜だったせいか、早朝から三十度を越える記録的な暑さだった。 「もう」 美波はキャメルのシルクシャツを脱ぎ捨てた。 気をつけて着たつもりだったが、脇のところにうっすらと汗じみがついてしまった。今度ドライクリーニングに出さなければならない。 サマーウールのスーツからニットのワンピースに替え、その次はシルクシャツに麻のスカートにしてみたが、姿見に写してみるとどれも折り目やしわが目立つのだ。 朝のニュース番組で天気予報をチェックしてから服を選んでいるのだが、今日の予報最高気温が三十九度では、一体どんな服なら一日しのげるのかまったく見当がつかない。 しかもワードローブには限りがある。 昨日のうちに服を全部出してハンガーに掛けておけばよかったのに。 美波はうらめしそうな顔でベッドの横に昨日開けたまま投げ出してあるスーツケースを見た。 ブラジャーにショーツのままでカーテンをほんの少し開けて窓の外を見ると、街は朝焼けでビルの外壁が黄金色に照りかえっていて、美波は一瞬めまいを起こした。 吐き気こそないが、久しぶりの東京でつい羽を伸ばしたツケが今来ている。昨日の夕方成田に着いて浜松町ステーションビルにチェックインしたのはとにかく早く翌日に備えたかったためで、ラウンジで酔っぱらうつもりは毛頭なかったはずなのだが。朝、目が覚めた時自分の部屋で、横に誰もいなかったのにほっと胸をなでおろすほど夕べの美波は正体がなくなるまで飲み続けていた。 バスルームに入ると黄色がかった薄暗い照明の下で疲れ切った表情の女が鏡の向こうからこちらを見ていた。 「あ〜あ、こんな顔しちゃってー」 美波は薬指で目の下を押さえた。 三十一歳。肌はまだ目に見えてたるんではいないが、目尻のしわと目の下のどんよりした暗さは隠しようがない。 仕事を辞め、日本を離れた時は二十九歳でまだ自分が大台に向かいつつあるなどという意識はなかった。二年近く過ごしたシカゴでも、歳を名乗らなければならない状況がほとんどなかったせいか、大台を越したなどと考えても見なかった。 しかし、帰った東京は二年経っても相変わらず日本的価値観に捕われた街だった。少なくとも女性の年齢に関しては。ラウンジで会った男たちとの会話の細部はあいまいで、顔などおぼろげにしか浮かんで来ないが、彼らがみな一様に歳を聞いてきたことだけは覚えている。 「いいじゃん、三十越えてたって」 ふーっとついたため息が情けなくなるほど酒臭かった。 「どうも久しぶり」 十分ぐらい応接室で書類を読んでいると谷田が現れた。 しばらく見ないうちにまた十キロぐらい太ったようだった。 「ごぶさたしてます」 美波は立ち上がり、頭を下げた。 手近なイスのほうに座っていたので、ソファー側に移動しようとするのを谷田は手で制した。 「まあ、そのままかけてかけて。ボクはこっちのほうがいいんだ」 そう言うと谷田は向かいのソファーに座った。革のソファーは二十センチは沈んだだろう。谷田の膝が尻より高い位置に来ていた。 巷では取締役の谷田の体重がフラッシュプロダクションの景気のバロメーターと言われているから、見た限りでは、今、会社はうまくいっているようである。 「ボクはまた太っちゃったけど、藤崎さんは相変わらずきれいだね」 「まあ、社長、お上手ですこと」 美波はそう言うと唇の端に軽く笑みを浮かべた。 「二年前の送別会でお会いした時とまるで同じじゃない」 そう言われて美波は内心ドキリとした。そう言えば、あの時に着ていたのはこのインド綿のエスニック調ワンピースだった。まさか谷田がそれを指摘しているとは思えなかったが、社内を歩けばきっと気づく人間もいるはずだ。 美波は胃のあたりが急に重くなったような気がした。 「向こうのほうはもう全部片づいたの?」 「ええ。お仕事をお受けすると決めてからすぐ日本に帰る準備をしましたから」 美波はつい数日前までの修羅場を思い返した。借りていたユニットの大家はいろいろ理由をつけて敷金を半分しか返してくれなかったし、乗っていた車は新車同様だったにもかかわらず、中古車ディーラーに買い叩かれた。そして二年かけて自分の好みで揃えた家具や食器は捨て値同然でガレージセールで買われて行った。 「シカゴに二年もいれば英語も上達して、さぞかし経済通にもなったでしょ」 「とんでもない」 この言葉に偽りはない。もともと有名私立大の英文科だっただけにこの二年のシカゴ滞在は英会話のブラッシュアップにこそなったが、当初の目的だったシカゴ大の経営修士号取得と現地の独身エリートビジネスマン獲得はついのほほんと海外生活を楽しんでいる間に資金が底をつき、どちらも逃してしまっていた。 そんな顛末で、結局、美波はまた同じワンピースで振り出しに戻ったことになる。 「ところで。これからのお仕事については前にメールした通りだけど、藤崎さんはそれで構わない?」 小さい縁なしメガネの奥の谷田の目は柔和な顔立ちに反して鋭かった。そこにはシカゴで見た、一瞬で作物を値踏みし今後の市場の動きまで読む先物取引の仲買人たちに共通するどこか冷めた色合いがあった。 美波は小さく身ぶるいした。ぬるかった建物の空気が急に冷たく感じられたからだ。 「ええ。新しくデビューするユニットのマネジメントですよね」 美波は谷田が来る前に読んでいた書類のキットに目を走らせた。キットにはユニットのプロフィールやレコード会社と共同で行うイベントの企画書などが入っている。 これは二週間ほど前、谷田からのメールに興味があると返事をした直後、シカゴの住所宛に空輸されてきた。 「承諾されるなら、ただちに帰国されたし」キットに添えられていたフラッシュプロダクションの社名が入った便せんにはたった一行そう書いてあった。 「デモテープは聞いた?」 「ええ。‥ロックバンド、ですよね?」 実は空港から浜松町へ向かうシャトルバスの中で一回聞いただけで、内容はまったく覚えていない。正直言うと、ポップスならともかく、ロックやヘビメタと言われるジャンルは好きではないのだ。しかもキットにあったユニットのプロフィールはバンドとしての活動記録だけで、メンバーの写真など個人に関する情報は一切含まれてなかったことも、美波がバンドに親近感を起こさせなかった。 「あの、今までの会社の傾向とはだいぶ違っているのでは?」 プロダクションの正面入り口からこの応接室に来るまでの間に美波は何人かの所属タレントを見かけ、そのほとんどがローティーンの少女たちなので腰を抜かしそうになったばかりである。 「はは。今、どこのプロダクションでも稼ぎ頭は「お子さま」だからね。でも、ヨソと同じことをしていたら、いつでもトレンドの後手に回らなきゃなんない。だから遅れを取るくらいなら今度はこっちがトレンドセッターになってやろうと思ってさ」 「じゃあ、これからはロックバンドがトレンドになるということでしょうか」 あごの下の肉がぶるんと揺らし、谷田は首を振った。 「いや、ロック自体は多少の流行りすたりはあれ、ずっと続いて来てるよ。ほら、藤崎さんも覚えてるでしょ、「平成イモ天」なんてバンドの発掘番組もあったし」 「ええ、名前は覚えていますけど、どんな番組だったか。私はあまり見る機会がなかったので」 そう。あのころの美波にはテレビなど見る暇などなかった。 自分がテレビに出ていたのだから。 「あの番組から何組かバンドがデビューしたけど、なんというか、平成初期の傾向だったんだろうね、実力はズバ抜けていてもカリスマ性がなかったりイロモノ扱いで、結局、みんなヒットをせいぜい一つ出すくらいで消えて行ったよね」 そうだったのか。それも知らない。 あの番組の前の最終ニュースを読み、それが終わるなり直帰していたのだから番組自体見ていなかったし、ビデオに録ってまで見ようとも思っていなかった。立ち止まって、今、何が起こっているのか判断しようと周囲を見回すだけの余裕はその時美波にはなかったし、周囲もそれを美波にさせてはくれなかった。 「そして「イモ天」後はヒップホップが出、ラップが出、大衆音楽はどんどん細分化していった。昔みたいに「フォーク」「歌謡曲」「ロック」なんて単純な分類では済まないのが今日この頃だ」 美波はうなずいた。シカゴで何度か駐在派遣の商社マンなどとつれだって日系のカラオケバーに行く機会があったが、たかが二年の不在の間にたちまち索引本のほとんどが聞いたこともない名前の歌手とその曲で埋めつくされていて、タイトルからも出だしの数行からでもどんな種類の歌なのかさっぱり見当がつかなくなっていた。 「しかし、だからといってこちら側も大衆に合わせて限りなく細分化していったら、小さくターゲットを絞り込んでうまく当たったとしても返ってくる利益も小さくて、とてもビジネスとして成り立たなくなってしまう」 谷田はそこまで言うとポケットからハンカチを取り出して汗を拭った。今は見る影もないが、この目の前の巨体から五十キロの脂肪を取り除き三十ほど若返らせると、プロダクションの通路に飾ってあるグループサウンズのレコードジャケットの一枚に写る顔になる。 「そこで、ウチは思いきって視点を転換させることにした」 ハンカチを持っていないほうの手が美波に向けて手のひらを見せ、今度はくるりと手の甲を見せた。 「これからは細分化されたマーケットを狙うのではなくて、逆にジャンルの壁を越えて大衆を引きつけるようなアーティストを売り出して行こうってね」 メモを取ろうと手にしていたノートパッドがいつの間にか汗を吸ってよれよれになっていることに美波は気づいた。 これは単に一つの新しいユニットをデビューさせるのではない。 このプロジェクトで音楽界へ一石を投じようとしているのだ。 「そして、藤崎さん」 顔を上げると、メガネのレンズで異様に大きく見える谷田の目があった。 「あなたの役割は大きいよ。このユニットのマネジメントだ。タレントに「ジャーマネ」と呼ばれて、ただヘコヘコ頭を下げれば済むような小間使い的な仕事じゃない」 そうだろう。美波はうなずいた。さもなければ自分のように一度、業界で「しくじった」人間をあれだけの年俸を提示して呼び戻すわけがない。 「では、まず、私は何をしたらいいでしょうか」 美波は無意識にいずまいを正していた。 「彼らを見てほしい」 「見る‥んですか」 「そう。見て、率直な感想を言って欲しい。あなたにデモテープは送ったが、写真やビデオを送らなかったのは、そのためだ。あなたにサウンドとビジョンを別々に与えて、純粋にその印象を聞きたかったからだ」 美波は谷田を見た。 谷田典彦が仕切るフラッシュプロダクションに所属するようになってもう五年になるが、こんな谷田を見たのは今日が初めてだった。もの柔らかな話し方とその体躯のせいか、谷田といえば穏健で、自分がタレント時代に築き上げたネットワークに頼る、「守りのビジネス」をする人間だと思っていた。 しかし、目の前でソファーを軋ませて座っている男は美波の今までの認識を覆そうとしていた。 「彼らはまず自分たちで作ったデモテープを送って来た。どこかの倉庫かなんかで録ったんだろう、雑音だらけで聞くに耐えられなかったのか、最初に受け取ったヤツはそのままどこかの棚に置きっぱなしにしてた」 谷田はそう言いながらテーブルの上に置いていた会社の封筒を開けた。 「そうしたら、今度はしばらくして音楽と映像が入ったDVDを送ってきた。これがそうだ」 応接室の中央の壁にはおそらく市販で一番大型のプラズマテレビが備えつけてあり、その下にDVDプレーヤーがあった。谷田は封筒からディスクを取り出すと、無造作にプレーヤーに押し込み、美波に向き直った。 「さてと。ここで藤崎さんに質問したいんだが。デモテープを聞いて、彼らについてどんなイメージを持った?」 またあの視線が美波を射た。 「ええと、そうですね‥‥本当に私が聞いた感じから来る印象は‥‥音楽のタイプから言うと‥外国のバンドで、何だか髪をカーリーのロングにしていて頭振りながら演奏してるような人たちみたいだと‥‥二十代後半ぐらいで、胸毛なんか見せてて下のほうもなぜかスパッツはいてくっきりしているような‥」 それを聞いて谷田は手を叩いて大笑いした。 「胸毛にスパッツ、ねえ。藤崎さんの描写はさすがに細かいなぁ。音楽を聞いただけでそのへんまで想像するとは」 美波はきっちり仕上げた化粧の下でたちまち赤くなった。いくらくだけた会話とは言え、契約社員にすぎない自分が仕事の打ち合わせで取締役にかなり露骨なことを言ってしまったのだ。 「すみません、言い過ぎました。どうかそこの描写はなかったことにしてください」 谷田はハンカチと取り出して、笑い過ぎて曇ったメガネを拭いていた。 「いやいや、いいよ、素晴らしい想像力だ。じゃあ、そのイマジネーションがどれだけ正確かDVDを見てみようよ」 メガネをかけなおすと、谷田はリモコンのスイッチを押した。 灰色の壁が写った。 画面は壁一面に走った大きなひびを捉え、次に天井の隅に張ったクモの巣をズームアップする。 がらんとした空間といい、打ちっぱなしのコンクリートの壁といい、どう見ても安っぽい倉庫の内部だった。 「これも倉庫のようですね」 「しっ」 画面は変わらず、いきなり前奏なしにコーラスが始まった。 小さく音量を絞ったシンセサイザーがコーラスに旋律を挟み込み、だんだん音を上げて行く。その間にコーラスは二手に分かれ、せめぎあいながらフェードアウトする。 次に低音のベースがシンセサイザーに絡むように変調で同じ旋律をなぞり、そこへ小気味良く、軽いタッチでドラムがテンポを刻み出す。 そう。これはデモテープの一番最初に入っていた曲だ。 音楽のプロではない美波にも、それはいかにも「プロらしい」イントロに聞こえた。 シンセサイザーが奏でる主旋律がフレーズを三回繰り返すと鳥の叫ぶようなリードギターの高音が飛び込み、いきなり、ここまで築き上げた旋律を引き裂きズタズタにする。 そこで、突然画面が切り替わった。 「え?」 美波の口から思わず声が出た。 破壊力のある高音は五小節ほど同じ音程を保つと、今度は落下するように一気に低音に向かう。 それを絞り出していたのは、まだじゅうぶん育ち切ってない華奢な手だった。 無造作に袖を折ったカッターシャツが腕の動きに合わせてはためく。 そこにシンセサイザーが入り、ギターと同じ旋律をなぞる。 「高校生?」 黒い詰め襟を着た小柄な少年がシンセサイザーに向かっていた。 額に前髪がかかるうつむいた横顔にうっすらと笑みを浮かべながら、白い滑らかな指先で軽やかにキーボード上に残像を残して行く。 再び、リードギターがシンセサイザーに挑む。 カッターシャツに黒ズボンの少年は顔をしかめギターを縦に構えて、スライスするようにピックで弦を縦横に弾いている。かなり高度なテクニックであろう、一緒に見ている谷田の息が荒くなるのが分かった。 そこでボーカルが入った。 ネクタイを緩め、ブレザーの学生服をだらしなく着た少年がマイクスタンドを片手でつかむのをカメラはクローズアップする。背も高く、リードギターやシンセサイザーの少年よりは年上に見えるので、むしろ青年と言っていい。 横目でカメラを見ながら青年は英語の早いフレーズを一気に囁くように歌った。 「この人が歌ってたの?」 青年はわざと数テンポ主旋律から遅らせると、今度は裏声で絶叫してみせる。典型的なロックシンガーの歌唱法だ。 頂点まで歌い切ると、片手をこちらに伸ばし、唇を突き出し、ゆらゆらと手招きして見せる。 『キスしてくれよ』 そういうジェスチャーだ。 それは若者にありがちな照れやふざけといった脱線のない、徹底したプロのパフォーマンスに見えた。 「まだ、子供ですよね」 美波は谷田に聞こえるようにつぶやいた。 いわゆるハンサム顔ではない。 しかし、そのけだるげなしぐさ、表情が美波にはたまらなくセクシーに見えた。が、谷田に向かってそれを口に出すのはなんとなくはばかられた。 カメラは何か凝ったテクニックを使うでもなく、淡々と演奏のようすを撮っているが、それぞれのソロを絶妙のタイミングで捉えて、立派な一本のプロモーションビデオを作り上げている。 ドラムの少年が激しくシンバルを打ち鳴らすと、鍛えられた腕の筋肉が上下し、汗を光らせた。白いシングレットと黒いズボンは演奏の間にたちまち流れる汗で濡れそぼって行く。ボーカルやシンセサイザーのような華というものはこの少年にはないが、その代わりに着実にビートを刻もうとする真摯な眼差しがあった。 ひょろりとしたベースの少年は学生服の上着をウエストに巻き、直立不動でギターを弾いていた。ベースはリードギターと比べると、どうしても見せ場が少なく単調になりがちだが、カメラはそんな時、少年をアップで写し、くるくると変わるその豊かな表情を追った。ボーカルとコーラスしている時の紅潮した頬、リードギターのソロをうらやましそうにちらりと横目で見るようす、自分のソロが決まった後に思わず浮かぶ会心の笑み。美波はふと、このビデオを撮った人物はひょっとしたらベースの少年の家族かガールフレンドではないかと思った。 歌詞がすべて英語のその曲は二コーラスあり、主旋律のフレーズに歌が重なったものが三度ほど続くと段々フェードアウトして終わった。全部で四分ほどだっただろう。 「どう?」 シュルシュルと吐き出されたDVDを元の封筒に納めながら谷田が聞いた。 「全然違いましたね、私のイメージとは」 「ああ、それは構わないよ。誰だって、あの音楽だけ聞けばまさかこんな若い子たちがやっているとは思わないだろう。英語ではprodigyとか言うんだろう?こういう才能のある連中は。誰かのカバーならともかく、オリジナルであそこまで作り上げられるアーティストは今の日本の業界には皆無だな。‥‥で、藤崎さんはどう思った?」 美波はゆっくり慎重に言葉を選びながら話し出した。 「ええと、こうやって映像といっしょに見たほうが音楽に親近感が持てました。でも、本当に驚きました、だって、あんな大人っぽい演奏で歌ってたのがみんな高校生だったんですから」 「正確に言うと、ボーカルだけは大学生で、あの制服は誰かの借り物だと聞いた。それに、これは去年作られたものらしいから、今はみんな高校を出てるはず」 「そうですか。でも、それでもみんな私よりずっとずっと下ですよね。なのにみんな大人っぽくて‥‥」 「そう。じゃあ、大人のあなたが見て、あの子たちに何かグッと来るものがあった?」 「は?」 何だろう「グッと来る」って? 「魅了されるというか?」 谷田が体を前に突き出すと、反射的に美波はイスに深く掛け直し、背もたれに重心をずらせた。 「え?ええ。こうやって見て、音楽も好きになりましたし‥」 「いや、そういうことじゃなくて、」 谷田は言葉を切った。 「‥どうもダメだな。ボクは根っからの音楽畑だから、いつもドンピシャリの言葉が出て来なくて」 どこかインコを思わせる丸く厚みを帯びた舌が体に不釣り合いなほど小さく薄い唇をなめ回した。 「ま、じゃあいい、藤崎さんには分かってもらいたいから、ストレートに言うよ」 メガネのレンズが一瞬天井のライトに反射して、美波にはその表情が見えなかった。しかし次の声ははっきりと聞こえた。 「寝たいと思った?あの子たちの誰か一人とでも寝てみたいと思った?」 「社長?」 一体、この人は何を言っているんだろう。 怒りの前に当惑が先に出た。 (*ここに適当にでっちあげの英語の歌詞を挿入〜) 確かに魅力的な少年たちだ。特にあのセクシーなボーカルの青年に言い寄られたら悪い気はしないだろう。 しかし。 それと現実として「寝る」との間には埋めようのない大きなギャップがあった。 イエスと答えないと契約は反古になるのだろうか。 でも。 仕事とセックスが絡んで身動きが取れなくなるのはもうご免だった。 「いいえ。思いませんでした」 消えたプラズマテレビの画面に妙に落ち着いた顔の自分が写っていた。 「そっか。そうだよね、やっぱり」 谷田は大きくうなずいた。 『ちょっと変なこと言っちゃったけど、あなたじゃないが、今の描写はなかったことにしてくれる?』 美波は谷田がそう弁解するだろうと思った。 しかし、それに続く言葉は美波の想像を絶するものだった。 「じゃあさ、藤崎さんがあの子たちを磨いて「女が寝たくなる男」に仕立てるってのはどう?」 「何ですって!」 美波の声は会議室の外まで響き渡った。 < 前のページ次のページ >
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