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2004年 12月 18日
第9章(1)
THE DELICIOUS BOY
CHAPTER-9
The Burning Zone
”Hey! Masal, Kaol, Tuck me, Katz, Kengo Mango~! Lunch time, boys!”
 ニックが大きな藤のバスケットを抱えて現れた。
 いつの間にかニックはメンバーに勝手にあだ名をつけて呼ぶようになっていた。
「どうしてオレだけ「マンゴー」なわけさ?」
「まあ、ただの語呂合わせで、意味ないよ。それより、ランチは何だろーね?」
 メンバーは早朝からThe Buring Zoneに入り、リハーサルを続けていた。周囲には撮影用の足場が組まれ、作業をするスタッフが慌ただしく行き交っている。
 ステージの中央に車座になって座ったメンバーにニックがバスケットから取り出した紙包みを手際良く投げて行った。
「ところで、これ、何?あったかいけど」
 マサルが紙包みを両手で持ってたずねた。
「英国名物 Fish and Chips 。白身魚とフレンチポテトよ」
 一人だけパイプイスに座った藤崎が爪の先でポテトをつまんで見せた。各々「いただきます」とつぶやき、包みを開けた。
「うげ、揚げたヤツ?オレ、パス」 
 紙の中のフライを見て、ケンゴがうめいた。
「ケンゴ、魚ダメだっけ?」
「そうじゃなくて」 
 ケンゴはニックに向かって「アイム・ソーリー」と言って頭を下げ、紙包みをバスケットに戻した。
「オレんとこ、漁師だろ?だから、魚は活きがいいんじゃなきゃ、どーもダメなんだよな」
「じゃあ、スタッフのところ行って、何かつまんで来なさい。さっきサンドイッチ頼んでたから」
「わっかりました〜」
 藤崎の言葉を聞くとケンゴは立ち上がり、足取りも軽くステージを降りて行った。
「いいな、純ちゃんとランチか」
 マサルはそう一言つぶやくと、その口の形でがぶりとフライに食いついた。
”本当はスシでも差し入れたいところなんだけど、この辺はそういう物喰うヤツがまだ多くなくてな”
 ニックがすまなそうに言った。
「結構うまいよ、これ」
 マサルがニックに向かって親指を立てて見せた。
「ところで、このフライって、何の魚?」
 縦切りになったレモンをフライの上で絞りながら薫が聞いた。
 藤崎はニックに英語で尋ね、薫に通訳した。
「Codだから、タラね。それから、場所や季節によってはサメの場合もあるんですって」
「サメ?」
 薫は紙の上のフライを凝視した。
「タラかもしれないわよ」
 指の腹で唇を押さえ、口紅が落ちていないか確認して藤崎が言った。
「サメだといいのにな」
 カツユキは油で光る指を紙の端で拭いていた。
「ほら、勝負前とかさ、トンカツ喰うじゃん、「勝つ」んだからって。そんな感じでさ、サメみたいに強いヤツ喰っときゃ、今晩、客に勝てるんじゃねえ?」
「お前、演るときって、客と戦ってるつもりなのか?」
 忙しくポテトを口に押し込んでいたマサルが聞いた。
「当たり前だろ。ギグは客との真剣勝負だ」
 カツユキはフライを飲み込むと咳き込んだ。水代わりのスポーツドリンクを一気にボトル半分ほど喉に流し込む。
「へえ。オレは客を楽しませれば、オッケーだと思ってた。タクミは?」
 フライの衣を剥がし、身だけを食べていたタクミはオレンジのコンタクトレンズを入れた目でウインクした。
「決まってるじゃない。魅せること、お客さんをうっとりさせるのが目標」
 藤崎はメンバーの会話の間、口を挟むでなくおとなしく咀嚼を続けていた薫を見下ろしていた。
「カオルはどうなの?弾いてるとき、お客さんのこと意識してる?」
 薫は口を動かしながらしばらく考えているようだった。見ると、かなり早いペースで食べており、フライはすでになくなっていた。口の中が空になると、ようやく薫は顔を上げ、藤崎を見、首をかしげた。
「うーん。考えてないな」
「っていうか、見てないよね、客席」
 タクミが突っ込んだ。
「いっつも弾くことにすっごく集中してるもん」
 薫はポテトを口に入れて、ゆっくり噛んだ。そして、うなずいた。
「そうかもしれない。僕はバンドの中でちゃんと演ることが一番大切だと思ってるから」
「あめぇよ、カオル」
 カツユキが鋭く口を挟んだ。
「それじゃ、オーケストラか何かみてーじゃねーか。俺らみたいなバンドはな、それぞれが「俺が一番!」って、しゃしゃり出るようじゃなきゃダメなんだよ。で、客にガツンと一発喰らわせる」
 薫に向かって拳を突き出した。
 握った拳が白くなっている。
「お前みてーに、ノホホンと弾いて、女やガキをキャーキャー言わすのは、本当のロッカーじゃねえよ。ったくイラつくぜ、お前のぼやーっとしたツラ見てるとよぉ!」
 半分しか食べていないランチの載った紙を乱暴に丸め、バスケットに落とすと、カツユキは立ち上がった。
「タバコ吸ってくる!」
 背中を丸め激しく咳き込みながらステージを降り、足早に去って行った。
 一同はあっけに取られてカツユキの後ろ姿を見送った。
「何、とんがってんだ、アイツ?」
「さあ?」
 マサルとタクミは顔を見合わせた。
 藤崎と薫もお互いに視線を交わした。しかし、何も口に出そうとはしなかった。

 今晩のライブのリストが決まった。
*A little drummer
*The Last Chariot
*The Shipwreck song
*Midnight Call
 ニュームーンの持ち歌3曲に、昨日薫がビリー・マクマーンに弾いて聴かせたThe Lunatic LoversのMidnight Callの計4曲である。「ラスト・チャリオット」を知名度の高い「リトル・ドラマー」のすぐ後に据え、盛り上がった状態で撮影するつもりである。

 バスケットを取りに来たニックが薫の肩を叩いた。
”カオル、今晩もナイジェルのギターを弾くんだろ?いつでも使えるように、あれからちゃんと手入れしてチューニングしておいたよ”
 藤崎に簡単に説明してもらうと、薫は手を振ってみせた。
「僕は今日はリードは演らない。カツユキが弾くんだ」
 ニックは薫の答えに承服しかねたようだ。
”どうして?昨日のお前は最高だったじゃないか。今晩も演れよ。きっとナイジェルも喜ぶぜ”
 薫は目を伏せると、首を振った。
「昨日はビリーに聞いてもらいたくてただ夢中で弾いた。でも、今日はニュームーンのメンバーとして僕のパートを演る」
 藤崎の通訳を聞いて、ニックはぽかんとした顔をしていたが、薫の決心が固そうなのを見ると、大きくうなずいた。
”そうか。お前がそれでいいんなら、俺だって無理強いする気はないよ”
「それに、カツユキはすごいギタリストだよ。僕なんかよりずっとテクニックがあるし、プロ意識も強い。アイツはMidnight Callを聞いたのは昨日が初めてだったんだけど、ゆうべはあのあとほとんど徹夜で弾いてマスターして、ギターのところをアレンジし直してたんだ」
 一同はカツユキの出て行った出口を見やった。
”ところで、今朝、ビリーから電話があった”
 ニックは話題を変えた。
”ゆうべはあんなにべろべろになってたんで、ちょっと心配してたんだが、無事「おつとめ」に出かけたらしい。で、気にしてたぜ、お前たちのことを”
 ニックはメンバーを見渡し、一人ひとりと目を合わせた。
”何だか自分がデビューした頃を思い出すって言ってた”
「僕たちは、いちおう、日本でメジャーデビューして二年経ってるんだけどな〜」
 タクミが小声で言った。
”そして、そのときビリーからことづかった”
 言葉を切り、ステージの端を見たニックにつられて、薫も同じ方角を見た。
 そこに昨日と同じようにナイジェルのギターが掛かっていた。
”カオル。あのギターをお前に譲るって”
 薫は驚いてニックを振り返った。
”ビリーはああいうヤツで、あんまり正直に物が言えないんだが、ゆうべのお前の演奏には心底惚れ込んだらしい。あれはもともとアイツからの借り物だから、お前が持って行くのに俺も異存はない。どうだ?”
 薫はニックと少し遅れて通訳する藤崎の顔を交互に見た。
「ニックもこう言ってるんだから、もらっちゃえば?」
 通訳の終わりに藤崎はそう付け足すと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「すごいよ。きっとものすごい価値あるんじゃない?」
 タクミも藤崎に加勢した。
「もらうんだろ、カオル?」
 マサルが薫の肩をどやしつけた。
 振り返った先、ステージの片隅にナイジェルのギターが細長い影を落としている。
 薫はその影を見つめた。
 そして、ギターを見上げた。
「え、何ですって?」
 藤崎は次に薫の言った言葉が分からず、聞き返した。
「気持ちはうれしいけど、結構です」
 薫はもう一度言った。
 マサル、タクミ、藤崎が同時に声を上げ、ニックは当惑顔で薫を見た。
”おいおい、どうなってんだ?”
”カオルは要らないって言ってるわ”
 ワンテンポ後にニックも声を上げた。
”どうして?お前、TLL、好きなんだろ?ナイジェルのギター、欲しくないのか?”
 その表情から、薫には藤崎抜きでもニックが何を言っているか分かった。薫はニックの目を見ながら話した。
「TLLは大好きだし、ナイジェルも尊敬している。それに、僕もギター弾く人間だから、いいギターはすぐ分かる」
「じゃあ、もらっとけば?」
 マサルが合の手を入れた。
 薫はマサルをちらりと横目で見、表情を緩めた。
「でもね、僕にはもう一番気に入ったギターがある。だから、二番や三番は要らないし、ナイジェルのギターを一番にすることもできないんだ」
「あれか。あのMorning gloryのビデオ撮りの前に弾いていたギターだろ?」
 薫はマサルにうなずいて見せた。
 藤崎は自分でも納得しかねるようだったが、何とかニックに通訳したようだ。ニックは藤崎が話し終わると、うなずいた。
”分かった。ほんと、お前、そういうところもナイジェルそっくりだな。義理堅いというか。‥だったら、ナイジェルみたいに、やっぱりお前も女をギターと同じように大切にするのか?だったら、さぞかしラッキーだろうな、お前の女は”
 藤崎は顔を上げ、ニックの言葉を聞いた。
「え、今、何て?」
 聞き返す薫の黒い瞳がまっすぐに藤崎の目を見た。
 藤崎はその視線を受け止めきれず、目を逸らした。
「通訳するほどのことじゃないわ」
 タクミもうなずいた。
「そうそう。ニックは「お前はナイジェルみたいに義理堅い」って言っただけだよ。あとの部分は‥そうだね、今の薫にはまだ関係ないんじゃない?」
「関係ないの?」
「そう」
 薫は藤崎もタクミも通訳する気がないと分かるとあきらめたようだった。
「ニック」
 バスケットを持って立ち上がりかけたニックは呼ぶ声に振り向いて薫を見た。
”気が変わって、ギターを受け取る気になったのか?”
 薫はアハハと声を出して笑った。
「違うよ。さっき、ケンゴが食べなかった分、貰ってもいい?まだお腹いっぱいになってないんだ」

 ステージで着る服は、メンバー個人の好きな服、但しどこかに黒を入れるということでまとまっていた。
『ほら、見てみてみてっ!』
 朝食後、いそいそと出かけて行ったタクミは帰ってくるなり被っていたビーニー帽を脱いで、メンバーに見せた。
『え?』
 タクミの髪は黒く染まっていた。
『なに、そんなにまっくろけにしてんだよ?』
 タクミはケンゴを横目で見、ふふん、と笑った。
『オリエンタリズム。いいでしょー。これなら、白黒ビデオにしてもバッチリ目立つし、目元にライン入れても映えるし』
『ま、日本出てからだいぶ経って、そろそろ根元が黒くなってきてたんだよな』
 咳き込みながら、カツユキがぴしゃりとタクミの喋りを封じた。

 午後七時。
「そろそろ、スタンバッてください」
 背中に「NEW MOON」のロゴが入った赤いスタジアムジャンパーを着た撮影班のアシスタントディレクターが楽屋のドアを開け、声をかけた。普通、The Burning Zoneは六時半から開くが、ニュームーンのライブのためのセッティングに時間がかかったのと、早くからクラブを開けてパトロンたちを酔っぱらわせないようにという理由で、今晩だけ一時間遅い七時半にドアを開けることになっていた。
「よしっ」
 楽屋の隅でiPodでMidnight Callを聞いていたマサルがイヤホーンを外し、立ち上がった。
「歌詞、覚えられた?」
 そう聞く薫にマサルは指を丸め、OKのサインを作ってみせた。
「大丈夫。ゆうべダウンロードしてから、百回は聞いて、同じくらい歌ったからな。ニックにも歌うところ聞いてもらったけど、「ワンダフル」って言われた」
「マサルの声質はビリーに近いもんね」
 マサルはうなずいた。
「うん。サウンド・スタッフが録音してくれたのを聞いたんだけど、あんまりビリーそっくりだったんで、自分でも驚いちまったぜ」
 アシスタントディレクターと握手して、スタッフの一人にiPodを投げると、マサルは大きく伸びをした。

 午後七時三十分。
「すごい客の入り!」
 クラブの入り口でフロアを偵察していた藤崎が戻って来てメンバーに報告した。
「今、急遽、スタッフ総動員でイスを撤去してるとこよ。イスなんか置いてたらとても収容しきれないくらいなの」
「でも、どうしてそんなに?ライブが決まったの、昨日じゃないか」
 藤崎は目を輝かせてマサルに答えた。
「ニックが昨日のうちに地元のラジオ局に連絡してくれたんですって。だから今朝からずっと番組の合間にコマーシャルが流れてたの。そして、笠原さんのおかげでEMNの許可も取れたから、ラジオでライブの一部を番組内で流すことにもなったわ。すごいでしょ?」
「うーっ、それじゃあ、コンサート並みじゃない。興奮するなぁ!」
 タクミがオレンジのコンタクトレンズを入れた目を輝かせた。ステージ用に濃淡がくっきりついたメイクをし、唇には赤く色のついたリップグロスまで塗っている。
「ラジオだけじゃないのよ。新聞社からも記者が来てる。日曜日のエンターテイメント欄のレポートにする予定だって」
「それって、すんごいプロモーションになるんじゃない?きっと谷田さんも大喜びじゃないかな」
「で、また重くなったりして」
 部屋に居合わせた全員がドッと笑った。

 午後七時三十三分。
「カオル、黒、着てないじゃない」
 タクミに指摘されると薫は首を振った。
「着てるよ。この下に」
 言うなり、着ていたセーターを脱いだ。
 メイクを手伝ってケンゴの髪にスプレーを吹きつけていた藤崎は手を止めた。
 厚地の黒いTシャツ姿の薫は以前よりひとまわり大きく見えた。特に腕は節くれ立った筋肉がつき、袖口が窮屈そうに見える。
「カオル、Tシャツ姿しばらく見ないうちにずいぶん逞しくなってるじゃない。何かやってるの?」
「ステロイド」
 薫の投げたセーターがケンゴを直撃し、セットした髪を崩した。
「ちょっと筋力トレーニング。あと、弾いてて行き詰まったら、ランニングとか」
「どうして運動づいてるの?」
 薫は藤崎と目が合うと、恥ずかしそうにシャツの短めの袖を引っ張った。
「うん。もうちょっと筋肉あったほうが、もっと男らしく見えていいのかなって思って」
 藤崎はカラニッシュでの一件を思い出して微笑んだ。
「そうね。おかげでおんぶしてもらったし」
 薫はそれ以上は何も言わなかった。本番が近づき、さすがの薫も気が高ぶってきている様子が藤崎にも伝わって来た。薫はスタッフの救急箱を開けると、テープを取り出し、ギターで擦れて出来た指の切り傷の上に巻き始めた。爪弾きもするため、慎重に爪だけを残してテープを巻いていく。腕に筋肉があるので、その様子は演技前の体操選手か、試合前のボクサーのようにも見えた。テープを巻き終えると、その上に指が露出する革のグラブを嵌め、更に手首にリストバンドを巻く。
 それは単なる支度ではなく、薫が「ニュームーンのベーシスト、カオル」に変わって行くプロセスでもあった。デビュー以来、もう何百回となく見て来たはずなのだが、藤崎は今夜もつい、その光景に見とれた。
「うーん、何か足りないんじゃない?」
 タクミが後ろから薫に声をかけた。
「え、何が?」
「カオルの格好。黒のTシャツは筋肉を強調していい感じだし、ジーンズも‥TSUBIでしょ、それ?‥いいんだけど、ちょっと定番の着方だよね。下にワークブーツ合わせたのは見事だとして、他にもう一つぐらい色を入れないと、ステージじゃ映えないよ。‥何かないかな?」
 そう言いながら、タクミは慌ただしく周囲を見回した。
「ああ、これ、これっ」
 タクミはハンガーに掛かった衣装の間から、赤いマフラーを引っ張り出した。「ヒストリー・リターンズ」でギターを演奏したときに薫が首に巻いていたものだった。
「これをね、こうやって、堅くねじってジーンズにベルト代わりに通して、横で結んで。そして、下まで垂らす。ほら、アクセントになるでしょ?」
 薫はくるりと回った。
 赤いマフラーがふわりと宙に浮き、弧を描いた。
「ね、いいでしょ?薫は腰が細いから、こういう風にウエストから下にかけて何かあると、キレイに見えるんだ」
「そうだね。確かにステージっぽくなった」
 薫はマフラーを見下ろして言った。
「そう言うお前は黒、着てないじゃないか。アタマが黒ってだけか?」
 黒いシングレットに黒いトラックパンツという相変わらずの軽装のケンゴがタクミに絡んだ。
 今晩のタクミは金ラメのシャツに紫のパンツというかなりケバケバしい格好をしている。しかし、タクミは含み笑いをすると紙のバッグから何か取り出した。
「じゃじゃーん。見て、黒が入ったコート!」
 タクミはフェイクファーのコートに腕を通し、ポーズを取った。
「何だ、それ。牛か?」
 白地に黒の斑が入ったコートはケンゴでなくても牛のように見えた。
「失礼だな。アニマルプリントって言ってよ」
「それって、ヒョウとかトラじゃないのか?」
「あのね、ヒョウ柄だけがアニマルプリントじゃないんだよ。こういうのもそうなんだから」
「なーにが、アニマルプリントだよ。そりゃ、どー見ても「牛柄」だぜ、「牛柄」!」
「もー、ファッション音痴はこれだから」
「ほら、牛が鳴いてるぜ」
 タクミとケンゴの言い合いで演奏前の張りつめた空気がすっかり和んでいた。

 午後七時五十二分。
 薫は一人で隅に座っているカツユキに歩み寄った。
「何か用か?」
 ギターのストラップに装着してあるワイヤレスのユニットを確認していたカツユキは近づいてくる薫を認めると、作業を止め、薫を睨みつけた。
 薫は既に準備を終えていた。黒いTシャツの肩から赤いストラップを掛け、スティングレイのシルバーのベースギターを吊っている。
「さっきのことだけど、」
「お前、それ、ギグの直前に話すことか?」
 薫はうなずいた。
「じゃあ、言えよ」
 カツユキの刺すような視線を受けながら、薫は口を開いた。
「さっきのことだけど、僕は今晩、観客を意識して演奏するよ」
「当たり前だろ」
 カツユキはストラップを肩にかけ、ギターを吊るした。白いTシャツの上に黒のレザージャケットを羽織り額に赤いバンダナを巻いたカツユキは正統派のロッカーに見える。
「お前、プロなんだからな。客のせてナンボの商売じゃないか」
 そのまま立ち上がって行こうとするカツユキに薫は後ろから声をかけた。
「僕は観客と勝負するつもりはないけど、僕の演奏でフロア全体を沸かして見せる」
 カツユキは振り向いて、優に頭一つは高い薫を見上げた。
「おもしれえ。じゃ、どっちが盛り上げるか俺とお前で勝負な」
 薫の返事を待たず、大股で楽屋を出て行った。

# by kaoru_oishi | 2004-12-03 11:39 | 第1部第9章 | Trackback | Comments(12)

by kaoru_oishi | 2004-12-18 22:01 | 第1部第9章 | Trackback | Comments(12)
2004年 12月 11日
第9章(2)
 午後七時五十八分。
「えー、これからステージに移動します。ステージには幕がありませんので、横の階段から上がって準備が出来たときに一斉にスポットライトが点きます。いいですね?」
 スタッフの一人が小さいトーチを持ってメンバーを先導した。
「ケンゴさんとタクミさんのところは足場が高くなってますから、落ちないように気をつけて下さい。それから、マサルさんの立つ中央の定位置には蛍光テープで印がつけてあります」
 楽屋を出て、会場に入ると、たちまちフロアの喧噪が耳に入って来た。クラブづきのDJが軽い音楽を流しているが、客の出す物音の方がはるかに大きい。
「一体、何て言ってるんだろ。分からないと不安になるな」
「分かるともっと不安だったりするよ」
 タクミがささやいた。

 午後八時三分。
”Hello, Edinburgh. We are New Moon, the band from Japan. We are happy to see you tonight. ”
 マサルがマイクスタンドに手を乗せ、少し前屈みになって言った。ライトが点く直前までカンニングペーパーを手にしていたが、本番寸前にポケットに押し込んだらしい。
”This is Masaru, vocal, Katsuyuki, Lead guiter, Kaoru, Bass guiter, Kengo, Drums, Takumi, Keyboard.”
 少し緊張しているのか、マサルはいつもより早口でメンバーを紹介した。
”And this is our first song tonight. 'A LITTLE DRUMMER'”
 今日のマサルはビデオのときのようなピエロの扮装はしていない。黒いタートルネックにホワイトジーンズの上下を着て、タンバリンを持っている。
 ステージ後方の壁にプロジェクターが投影され、「リトル・ドラマー」のビデオクリップが大写しになった。
 客席が沸いた。やはりMTVのノミネートのおかげでこの曲の知名度は高いらしい。

(A Little Drummerの歌詞が入ります。)

 少し不安そうに最初の数小節を歌っていたマサルを叱咤するようにカツユキのリードが飛び込んだ。マイクには入らないが、「オラオラオラッ」とかけ声すら上げている。
 薫はカツユキの反対側、正面から向かって左に立ってベースを弾いている。よほど近くないと生の顔は見えないはずだが、下に字幕で名前が入ったメンバー全部の顔のアップがスクリーンに映し出されてからは、”KAORU!”という声援が起こり、女性客が我勝ちにステージに押し寄せて来た。
 バックが全部揃うとマサルも落ち着いたらしい。歌声に自信がみなぎっているのが分かる。

(A Little Drummerの歌詞が入るといいんですけどっ!)

 曲のヤマ場にさしかかった。ビデオのシナリオでは、ピエロ姿のマサルが人知れず秘めた思いを泣き叫ぶように歌い、肩から吊るしたドラムをぽつんと叩くことになっていたのだが、ハプニングが続出し、完成版ではスティックが折れたケンゴに咄嗟にマサルが手にしていたスティックを投げ渡すところがスローモーションとなって入っている。
 マサルが目を閉じ、マイクスタンドを両手で握ると思いきり高い声を出した。
 例のスティックを投げるシーンである。
 マサルはステージの中央でタンバリンを振り上げ、上に向かって投げた。
 スポットライトを受けて、一瞬、タンバリンが金色に輝いた。
 マサルはタンバリンが落ちてくる間にステージの上で体を一回転させて、伸ばした片足の爪先でタンバリンをキャッチした。
 フロアがどよめいた。
”マサルはアクロバットもできるのか?”
 ステージ脇、スタッフのエリアでバンドの演奏を見ていたニックが隣に立つ藤崎にささやいた。
”さあ。でも、できても不思議じゃないわね、マサルなら”
 藤崎は同意した。

 フロアからの拍手と声援がおさまらないうちに、バラードから一転して、今度はいきなり早いテンポで次の曲が始まった。
「ラスト・チャリオット」はアメリカンフットボールの試合からインスピレーションを得て作られたもので、躍動感のあるリズムと激しいギター演奏が前面に出た、かなりアップビートの曲である。
 カツユキが跳ねた。
 ステージ上を所狭しと駆け回り、薫と交差し、ポジションを換えた。
 薫も負けていない。
 中央に駆け寄ると、マサルの頭上すれすれでベースを大きくスイングさせた。
 ケンゴはスティックが折れそうなほどすざまじい勢いでドラムを打ち鳴らす。
 マサルの声は高いほうだが、この曲では自分の音域の限界ギリギリの低音で荒々しく歌った。
 唯一いつもと変わらずクールに弾いていたタクミもスポットライトの暑さに耐えきれなくなったのか、演奏の合間にコートを脱ぎ、金色のシャツのボタンを一気に一番下まで外した。
”ヤツら、すごいじゃないか!”
 ニックが大声でどなった。
”そうよ。今、日本で一番のロックバンドなんだからっ!”
 藤崎も負けじと叫び返した。
”思い出すぜ、TLLが全盛だったころ。ビリーもナイジェルもアンガスもちょうどこんな風にエネルギッシュに演ってたんだ”
 フロアのセットの中で一番設置に苦労した移動式のカメラが逐一メンバーの動きを追っている。最高150度まで半円形に移動できるので、ステージ上で一瞬たりとも止まらぬカツユキたちを画面から切れることなく撮り続けている。そのカメラのスツールにまたがっているのは林である。セット撮りではアシスタントに任す林も一発勝負のライブではさすがに自らがカメラの後ろに座ることにしたらしい。カメラがステージと平行して動くたび、そのトレードマークのだらしなく伸びた長髪が右に左になびいている。
 フロアの観客も曲の変化に素早く反応した。
「リトル・ドラマー」では観ることに徹し、自分から動こうとしなかった観客がこの曲が始まると同時にリズムに合わせて踊り出した。固定型のカメラは後方も撮ることができるので、メインの移動式カメラがステージを撮っている間は他のカメラはそれら観客の様子や動き回るスタッフを記録し続けた。
 カツユキのパフォーマンスはメンバー全員を圧倒した。
 ギターを弾きながら、回転し、ステップを踏み、コーラスする。ときにはマサルのマイクを奪って自分が歌ってしまうくらいだ。
「どうしたんだ、アイツ?」
 ケンゴのドラムソロの間にマサルは薫に身ぶりで尋ねた。
「客と真剣勝負してるんだよ」
 薫はそう言うと、派手にベースのネックを垂直に上げた。
「じゃあ、オレも客を楽しませるとするか」
 マサルはそう言うと、マイクスタンドからマイクを取り、ステージ真ん前の縁に立った。
”Hey, show me your hands!”
 薫のソロの直前に、マサルが叫んだ。
 観客が一斉に両手を突き出す。
”Wave to me!”
 手が薫のベースに合わせてゆらゆらと動く。
”Hey, point at me!”
 指がまっすぐにマサルに向けられた。
 薫のソロにケンゴのドラムが加わり、更にスピードを増した。
”Hey, one, two, one, two, three, four!!”
 マサルが宙に見事なキックを放った。
 
 タクミのソロが続いている。これで「ラスト・チャリオット」と「シップレック・ソング」を休みなしでつなぎ、その間にリズムのテンポを落としていくのだ。
「水くれ、水!」
 カツユキが手を振り回した。
「オレも」
 ドラムセットに座ったまま、ケンゴがどなった。
 ステージ脇で待機していたスタッフが水のボトルを素早く手渡す。
 ケンゴが水をラッパ飲みする側でカツユキはボトルのフタを取リ、中身を思いっきり自分の頭にかけた。
「もうすぐタクミ終わるぞ」
 マサルが二人に声をかけた。
 ステージから投げた二人のボトルがスポットライトを横切った。

(カツユキが変だ)
 再びビデオクリップを背景に「シップレック・ソング」が始まるやいなや、メンバーは異変に気がついた。
 カツユキが虚ろな表情で演奏している。
 いつもなら研ぎすまされた刃のように鋭い指さばきが旋律を切り刻むところを、ミスピックが砂粒のように混じり、スピード感がなくなっている。さきほどのパフォーマンスがすごかっただけに、その落差がひどく目立つ。
 演奏しながら、カツユキはチックのように顔をゆがめ、頭を振り動かした。
(どうする?)
 顔の前でタンバリンを振るマサルに、薫は目で問いかけた。
 ワンコーラスの間にカツユキの動きは更に緩慢になった。アドリブソロに入ると、握力が鈍ったのか、普段はチョーキングやトリルなど高度なテクニックをあますところなく見せつけるところに、解放弦の一音の旋律が異様に増え出した。
(カツユキ!)
 薫は弾きながら何とかカツユキとアイコンタクトを図ろうとしたが、朦朧としたカツユキの視線は薫の目を捉えようとしない。
 ミスピックどころか、ミストーンが現れ出した。
 ステージ脇に詰めている藤崎も異常事態に気づいたらしい。こちらに向かってさかんに手を振っている。
(何とかしないと)
 やめようと思えばやめられる。
 しかし、ライブで、これだけ盛り上がった状態でいきなり演奏をやめるのは燃え上がる炎に冷水をかけて消してしまうに等しかった。
 バンドのプライドにかけてもそれだけは避けなければならない。
(どうする?)
 弾き続ける彼らの耳に旋律を凌ぐほどのフロアの歓声が聞こえて来た。
 絶対にやめられない。
 絶対に。
 薫は再びマサルを見た。
 マサルは薫にうなずき返すと、キーボードの方角を見た。
 タクミはマサルの視線を待ちわびていたようだった。
(マサル、僕できる)
 キーボードを叩く動作を少し大きくしてタクミはアピールした。黒いアイラインで強調した、豹を思わせるオレンジの瞳が壇上から真っすぐマサルたちを見下ろしている。
(僕が、これでリードの代わりをする)
 薫のソロの間にキーボードを指差し、大きくうなずいた。
 マサルはケンゴを振り返った。
 ケンゴはドラムのリズムの僅かな隙にシンバルを入れた。
(何だかよく分からねーが、オレはリズムをキープする。お前ら、後は頼むぜ)
 マサルはタンバリンを頭上高く掲げた。
(よし、やるぜ)
 タクミがカツユキがパート演奏に入る何十分の一秒直前にキーボードでリードのメロディーに滑り込んだ。若干音量を上げ、カツユキの演奏をかき消す。
(カツユキ、あとは僕に任せて)
 マサルがタンバリンを腰に打ちつけ、客席に背中を向けた。
「タクミがリードをやる。お前は休んでろ」
 マイクから口を離し、短く叫ぶと、マサルはカツユキのギターのネックをがっちりと握った。
 演奏を止められたカツユキは反射的にマサルの手を払いのけようとした。
 マサルは逆にその手をつかむと、カツユキの目を覗き込み、鋭く言った。
「お前、音が外れてる。休め!
 カツユキの手を離し、何事もなかったように客席を向くと、マサルは再び歌い出した。
 カツユキは正気を保とうとするかのように強く二、三度首を振り、ステージ中央から右手の自分のポジションに戻った。そこにはスタッフのスタジアムジャンパーを着込んだ藤崎がタオルとスポーツドリンクを手に待機している。
 タクミは見事にキーボードでリードのパートを再現していた。ワイヤーの擦れる音やぶうんといううなりこそないが、間の取り方、音の引っぱり方、すべてがカツユキの忠実なコピーになっている。
 薫はよろめくカツユキから観客の目を逸らすかのように、ひときわ派手にベースのネックを上げ、ステージの縁ぎりぎりのところまで寄って演奏した。
 ステージ近くの女性客が一斉に嬌声を上げ、薫に向かって手を伸ばした。
 観客の一人が薫が腰に巻いていた赤いマフラーを引っ張り、それをきっかけに何本もの手が薫のジーンズの足に絡みついた。
 たちまちマフラーが解かれ、フロアに持って行かれた。
 無数の手に引っ張られ、薫はバランスを崩した。
(カオル!)
 ステージ上の誰もが息を呑んだ。
 薫は次の瞬間、ステージの縁で大きく足を開いて何とか持ちこたえ、体を思いきり後方に反らせた。そして駆けつけて来たセキュリティースタッフが観客の手を薫からもぎ離すまで、その姿勢でギターを弾き続けた。
 マサルのシャウトとケンゴの激しいドラムに負けないくらい観客が絶叫するなかで、「シップレック・ソング」は終わった。

 撮影スタッフが、日本から持って来たプロモーション用のリミックスクリップを急遽スクリーンに映し、その間メンバーは数分間タイムアウトを取ることにした。
「大丈夫、観客はノッてたわ」
 藤崎は息を弾ませながら観客を振り返って言った。
「私は何度も聴いてるから分かるけど、そうじゃなけりゃ、これも演出に見えたんじゃないかしら」
「カツユキ、大丈夫か?」
 マサルが片膝をついてステージの片隅に座り込んだカツユキの顔を覗き込んだ。
 カツユキは力なく首を振った。
「頭がボーっとして、指と音が合わねぇ」
 藤崎は手のひらをカツユキの額に当てた。
「熱はないみたい。でも、どうして急に悪くなったのかしら」
 カツユキは藤崎の手をどけると荒い息をついた。
「‥たぶん薬の飲み過ぎ」
 藤崎の目つきが険しくなった。
「え、それって‥」
 カツユキは弱々しく片手を振った。
「ヤクじゃないよ。風邪薬飲んだところに、咳止めのシロップも飲んじまったんだ。最初は咳も止まって絶好調だったんだが、演ってるうちにだんだんワケ分かんなくなってきてさ‥」
「咳止めシロップ飲み過ぎるとラリっちゃうんだよ、知ってた?」
「お前、黙ってろ、タクミ!」
 ケンゴが吠えた。
「あと一曲残ってるけど、演れそうか?」
 マサルの言葉を聞いて、カツユキの目に苦渋の色が浮かんだ。
「‥ダメだ‥と思う」
 一同は顔を見合わせた。
 カツユキは何度か拳を握ったり開いたりした。
「握力がコントロールできないから、無理に演ったら、またさっきみたいなことになりそうだ。‥ちくしょう」
 がっくりとうなだれ、腕の中に顔を埋めた。
「じゃあ、またタクミにリードのパートやってもらおうか?」
「うん、できるよ」
 タクミはオレンジの瞳でマサルの視線を受け止めた。
「カツユキはそれでいいな?」
「‥‥‥」
 下を向いたままくぐもった声でカツユキが何か言った。
「何?」
 カツユキは顔を上げた。
「カオルやれよ」
「え」
 カツユキの背後でタオルで顔を拭いていた薫は振り返った。
「これなら、お前、楽勝だろ。お前の得意中の得意らしいし」
「でも」
「ぐだぐだ言うなよ」
 カツユキの声が裏返った。
「俺がお前の力を見込んで「リードやってくれ」って頼んでるんだぜ。変な理屈こねて遠慮すんじゃねえよ」 
 カツユキはよろけながら立ち上がると、ストラップを肩から下ろし、薫にギターを押しつけた。
「俺の、使えよ」
 Gibson Flying V、カツユキの愛器である。
「手入れはバッチリだから、ナイジェルなんとかのよりもいい音が出る」
 薫は壊れ物を扱うようにカツユキのギターを持った。
 ギターにはカツユキの熱演の名残りのぬくもりがあった。
 薫は藤崎を振り向いた。
 藤崎はうなずいた。
「「ラスト・チャリオット」は収録できてるはずだから、後はアンタたちに任せる。私がカツユキを看てるから、カオルは思う存分やってちょうだい」
 マサルの手が薫の肩にかかった。
「今日はオレの美声が入るからさ、おまえはギターに集中しろよ」 
 薫はベースギターを吊ったストラップを肩から外すと、無言で藤崎に手渡した。そして、カツユキのギターが付いたストラップを肩にかけると、長さを調節し、立ち上がった。
「タクミ、」
 振り向いた薫の次の言葉を待たずに、タクミは親指を立ててみせた。
「まかして。カオルのパートはこっちでやれる」
 リミックスが終わりに近づいている。薫はマサルに促され、リードギターの定位置に立った。

# by kaoru_oishi | 2004-12-11 05:20 | 第1部第9章(2) | Trackback | Comments(14)

by kaoru_oishi | 2004-12-11 05:20 | 第1部第9章 | Trackback | Comments(14)
2004年 12月 03日
第9章(3)
「ワン。トゥー。スリー。フォー」
 ケンゴがゆっくりめのカウントを取り、Midnight Callが始まった。

(Midnight Callの歌詞が入ります。)

 マサルはビリー・マクマーンの歌い方を完全にマスターしていた。高音のシャウトは叫びではあるが、完全に声を飛ばさず、手前でふっと丸めるように響かせる。「リトル・ドラマー」を歌った時のマサルは喉も張り裂けんばかりのクライで悲哀を表現していたが、この歌では全力を出し切らない、一歩手前で失墜することで、逆にやるせない想いを伝えている。
 その音色、メロディは二十年近く経った今も古くささを感じさせなかった。
 藤崎はニックの横顔を盗み見た。
 ニックはマサルの歌に合わせて歌っていた。目が潤んだと思うと大粒の涙がこぼれたが、ぬぐおうともしない。
 フロアの観客も同じだった。
「ラスト・チャリオット」や「シップレック・ソング」の騒がしい熱狂は影を潜めていた。だが、Midnight Callが始まった途端、観客は立ちつくし、全身で曲を聞こうとした。雑音のない静かな熱狂がそこにあった。

 ワンコーラスが終わり、カツユキの、いや、薫のソロパートになった。
 一同は息を止めた。
 昨日の薫の実力ならソロをやらせてもじゅうぶん通用すると分かっていたが、ライブの、しかも観客を前に、薫がリードギターでどのようなパフォーマンスをするかについては完全な未知数だった。
 薫が鋭い目つきでスポットライトを睨んだ。
 ステージ隅から大股で数歩走り、膝をつくと、そのままステージ中央までスライディ
 ングした。
 そこで痙攣を起こしたようにシェイクし、指を激しく動かす。
 藤崎は息を呑んだ。
 これは昨日の薫のアレンジではない。
 本番前のリハーサルで聞いたカツユキのアレンジである。
 薫はリハーサルで一度だけ聞いたカツユキの旋律を覚え、再現しているのだ。
 同じ曲でも薫のアレンジが「静」なら、カツユキのアレンジは「動」である。
 初めてだった。ライブでここまで熱く演奏する薫を見たのは。
 カツユキならここでスライディングしても不思議ではない。
 しかし、薫がするとは。
 薫が首を振った。
 黒髪がスポットライトの光を受けて、銀色に輝く。
 一群の白い髪は炎のように揺らめいている。
 髪の先から汗が飛び散り、光った。
 クラブ全体が静けさから一転して耳を聾せんばかりの歓声に満ちた。
 体を弓なりにして薫がFlying Vに挑む。
 しなった上体に突き刺さるように矢の形をしたFlying Vのシルエットが浮かぶ。

 ソロパートが終わった。
 フィールドを全力疾走した後のように、薫は汗にまみれ肩で息をしている。
 しかし、ほとばしるエネルギーは衰えていない。 
 薫は再び力強くメインパートの旋律を弾き始めた。
 マサルが歌い出す。
 まるでビリー・マクマーンが乗り移ったように澄んだ高音が楽々と出た。
 両手を宙に向けて広げ、マサルは幻の恋人を差し招いた。
 声を出さず、唇だけで”愛している”とつぶやく。
 そのマサルの想いを断ち切るように薫のギターが唸り、メインの旋律を繰り返した。
 そして曲が終わった。

 一瞬の間があり、それから、歓声、というにはあまりにも激しすぎるどよめきがフロアに満ちた。

「ちくしょう」
 カツユキが呻いた。
「アイツ、俺より客を沸かせてやがんの」
 藤崎はカツユキの肩に腕を回した。
「アンタもすごかったじゃない、カツユキ」
「途中までな。あとで失速しちまいやがった」
「悔しかったら、早く体調を戻して次のコンサートで頑張ることね。このロケが終わったら、次は東京よ」

 歓声と拍手が止まらない。
「マサルっ!これ、アンコールってことみたいよっ!」
 藤崎が階段の下から手をメガホンにして叫んだ。
 ステージ上のメンバーは顔を見合わせた。
「ヤベえ。アンコールでちったぜ」
 ケンゴがスティックで首筋を叩いて言った。
「どうする?」
 メンバーが沈黙する間にも歓声と拍手は続いている。
「じゃあ、よし、Unhappy Valentineにしよ。ついこの間バレンタインだったし」
 やがてマサルが振り向いて、メンバーを見渡した。 
「オッケー。あれならヘドが出るほど何回もやってるから、寝ててもできるぜ」
 とケンゴ。
「僕も。つまんないから、アドリブ入れちゃおうかな」
 タクミは手早くキーボードの設定を変えながらつぶやいた。
「カオルは?お前、カツユキのパート、できるか?」
「うん」
 いつもなら、数十秒考えてから答える薫が間を空けず即答した。
「じゃあ、アンコールだ」
 
 薫が実に楽しそうにギターを弾いている。
 Midnight Callのときの激しさは、もう、ない。
 目を閉じて陶酔しきっているのでもなく、苦しげに顔をしかめているのでもなく、目を大きく開けて、メンバーを見、客席を見ながら薫は演奏している。
 藤崎はマネージャーであることを忘れて、十代の少女に立ち戻っている自分に気づいた。
 胸を高鳴らせて大好きなアイドルのコンサートを見ている気分だった。

(Unhappy Valentineの歌詞どぅえ〜す!)

 マサルとカオルが背中あわせに立ち、コーラスした。
 横目で互いの顔を見て、微笑み合う。
 女たちが喉も裂けんばかりの甲高い歓声を上げる。
 林がカメラの後ろで手を大きく振り回している。
 カメラのフラッシュが続けざまに光った。

”It was the New Moon, the hottest band from Japan. They are going to release their new album as soon as they finish shooting the video clips and this live would be one of them. So, check out guys, you will be on MTV!”
 DJのアナウンスが入ると観客はどよめいた。
「なんか、気持ちいいな」
 セキュリティースタッフに守られ、ステージ脇の階段を降りながらマサルがつぶやいた。
「小屋は大きくないけど、オレたちのギグがガイジンにこれだけ受けるってーのは、やっぱりスゴイぜ」
 ケンゴがあいづちを打つ。
”It's great, it's awesome! Gee, I've got goosebumps!”
 ニックが階段の下で待ち構えていて、メンバーを見るなり、両腕をさすりながら興奮して言った。
”Masal, you're superb!!”
 握手をしようと手を伸ばしたマサルをがっちりと抱きとめ、キスの雨を降らせている。
「御愁傷さん」
 それを見たカツユキがボソッとつぶやいた。
「カオルっ!」
 分厚いコートを苦労して腕に抱えていたタクミが空いている方の手で薫のギターを指差した。
「え?」
 薫はタクミの指差す先を見、硬直した。
 Flying Vのネックから黒いレースのパンティがぶらさがっていた。
「そういえば、アンコールのとき、視界の外から何か来たなって感じがあったけど、あれがそうだったのか」
 タクミは体を二つに折って大笑いした。
「じゃあ、カオル、気がつかないでずっと弾いてたんだ〜っ」
 それだけではおさまらず、タクミはフロアに落としたコートの上を転がり、宙を蹴り上げて笑い続けた。
「うるせーな、タクミ。お前もパンツの一枚ぐらいもらえるよう精進しろよ!」
 横を通ったケンゴがスニーカーでタクミを踏んづけて行った。
「美波さん、これどうしたらいい?」
 薫はギターのネックに引っかかっている物体を指差した。
 藤崎は顔を近づけて見、それが何か分かると、たちまち不機嫌そうな顔つきになった。
「バカね。ありがたくもらっとけばいいのよ!それとも、エルビスみたいに汗でも拭いてから、持ち主に返してあげる?」
 薫は酢でも飲んだような顔つきをし、首を振った。

 こうして、ニュームーンのエジンバラ・ライブが終わった。
 
 着替えを終え、ニックに礼を言うと、メンバーは楽屋を後にした。そのまま打ち上げに突入したいところだったが、カツユキの体調がすぐれないことと、スタッフの大半がクラブの閉店後にセットの解体作業に取りかからなければならないという理由で、パーティーは明日に持ち越されることになった。
 クラブの出口で、薫は立ち止まって、ステージを見上げた。
 壁の、客席から死角になるところに、あのギターがあった。
(ナイジェル)
 まだざわめきがおさまらないクラブで、ギターの辺りだけが静謐な空気をたたえていた。
(あなたのおかげで僕は吹っ切れた) 
 薫は片手の指先を自分の唇に押し当てた。
 手を返し、唇の触れた指をギターに向けた。
(さよなら、ナイジェル)
「‥ありがとう‥」
「何か言ったか、カオル?」
 振り返るマサルに薫は首をすくめて見せた。
「何も。ナイジェルのギターに挨拶してただけだよ」
 マサルはあきれた顔をした。
「そんなに思い入れあるなら、もらっときゃよかったのに。オレなら、絶対にもらってたな」
 薫は目を閉じ、首を振った。
「ダメだよ。ナイジェルのギターは、あそこにないと。あそこで、ああやってバンドの演奏を見守っててくれないとね」
 ドアの外でタバコを吸っていたカツユキがこれ見よがしに大きく煙を吐いた。
「俺、お前のそういうロマンティックなところ、嫌ぇだ」
 Flying Vの入ったハードケースを持ち上げた。
「だがよ。お前のギターの腕とパフォーマンスは認めてやる。‥さっきのギグ、最高だったぜ」
 薫が目を開けた。真っすぐに引き結んでいた口元がだんだんほころび、満面の笑顔になった。
「本当?ほんとうにそう思う?」
「ああ。悔しいけどな」
「ありがとっ、カツユキ!」
 薫の両手がハードケースを持つカツユキの手を握りしめ、ぶんぶんと振った。
「おい、気をつけろ、カオル!俺のFlying V、落としたら、ぶっ殺すぞ!」

by kaoru_oishi | 2004-12-18 22:01 | 第1部第9章(3) | Trackback | Comments(9)

by kaoru_oishi | 2004-12-03 23:39 | 第1部第9章 | Trackback | Comments(9)