2004年 08月 10日
制作記:物喰う人々
第15章、やっと桜餅が「ニュームーン」の胃袋におさまりました。かれこれ1か月以上いろいろ考察していた桜餅もしょせんはホームドラマの「消えもの(ドラマ中の食物)」と同じで、A4紙2ページ半で出番が終わりです。ま、ロックバンドを描く青春小説(?)ですから、何ページにわたって延々と桜餅を食べ続けているわけにはいきません。ギグ、控えてますし。
考えてみたら、きむら、この小説にわりと食事のシーンを入れているような気がします。(分量は食べるにしても)個人的にはきむらは決してグルメではないし、味オンチだし、1週間同じメニューでもオッケーという鈍なところもあります。ほら、あれですよ、カフェで「ラテ、エスプレッソ、マチアート、カプチーノ、スキム、ソヤ‥‥」と聞かれて「コーヒー!」と一言答えるような、そういうタイプ。
それが、どうして食事シーンを入れちゃうのか?
例えば、この小説の対極に「源氏物語」というのがあります。
(ただの例え。日本の名著と自分の書いてるものが同等だ、なんて思ってませんので、念のため)
これは一行で言うと、主人公を中心とした男女の愛憎を宮中の生活ぶりとともに描いた話ですが、きむらの記憶が正しければ、この話には食事のシーンが皆無か、限りなくゼロに近かったはずです。なぜかというと、この時代は飲食をはしたない行為と見なしていたためで、飲食を表す単語も「ものす(物す)」と、何だか曖昧なもので直接的な表現を避けてたわけです。
(お、ここまで書いて思い出した。源氏と紫の上の初の「へにょへにょ」のとき、翌朝「いのこもち(猪の子餅?)」なる「祝!初へにょへにょ」を記念した食べ物が出てきた。でも、紫の上、食べなかったよーな)
従って、帝が出て来ようが、歌会があろうが、島流しになろうが、女とへにょへにょしようが、食事シーンだけは書く必要がなかったのです。
しかし、時は経って21世紀。もう飲食の描写のタブーもありませんし、トイレのシーンもオッケー。文章表現についてあらゆる規制はほとんど撤廃されているとみなしていいでしょう。
だから、そうなると、絵画で例えると写実派のきむらはつい「桜のシーズンなんだから、やっぱり桜餅食べてないと不自然だよね」なんて考えて、ロック小説にもお構いなく食事シーンを投入してしまうのです。(あ、トイレのシーンもあった、そういえば)
‥‥それとも、単に「薫が桜餅食べてるところ見たいな」なんて、自分の好みを反映させてるだけかもしれません。
でも、ひとつ言えることがあります。
「桜餅調べるのににこれだけ情熱かけられるんなら、もっとギターと音楽の描写にも情熱かけよう!」
次はギグのシーン。桜餅どころか、分からないことがてんこ盛りになって行く手に立ちふさがってます。(汗)
(注:「源氏物語」については手元に本がないので、かなりうろ覚えで書いてます。ウソ八百かもしれません)
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by kaoru_oishi | 2004-08-10 00:14 | その他もろもろ


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