2006年 02月 10日
ちょっとイイ話 - Message In A Bottle -
どうも。きむらです。
新聞を読んでいて、ちょっと「いいなぁ」と思う記事を見つけました。

ソースはコチラコチラ(ボトルを持ったオジサンの写真つき)

きむらの英語はたいしたことないんで、全文翻訳は避け(わはは)内容をかいつまんで書いときます。

米国で沿岸警備隊の隊長を勤めるハーヴィ・ベネット氏は去年の8月に自宅のあるニューヨークのロングアイランドの近くの海に、自分の名前、住所が書いてある名刺を入れたプラスチックのボトルを投げたところ、今年の1月24日に英国から小包が届いた。
小包の中には、彼が投げたボトルが入っており、それと一緒に発見者であるヘンリー・ビグルスワース氏のメモが添えられていた。


スティングじゃありませんが「Message In A Bottle」ですよ。
ボトルは大西洋を横断し、約5000キロ離れたイングランドのボーンマス (英国南部のリゾート)に着いたのでした。
国境を越え、大西洋を渡ったボトルが縁で知り合った二人。
これを機に厚い友情が育まれるのでしょうか。

(ビグルスワース氏からのメモにはこう書かれていた)
「私はこの間プール・ハーバー沿いの浜辺を歩いていて君のボトルを見つけた。
君にとって、これは海流の経路とスピードを調べるための意義ある試みかもしれないが、私にとって、これはゴミだ」


えー、この後にアメリカ人への罵倒の言葉が続きますが、きむらの拙い翻訳もどきを読むより、原文を見て雰囲気を味わって下さい。
ビグルスワース氏、怒ってます。そしてメモの結びはこうです。

「とにかく、今後、私の住処を汚すな」

当然、このメモを読んだベネット氏も怒りまして、新聞のインタビューでいろいろ反撃してますが、これまた翻訳ではオリジナルの味わいが伝わらないと思うので、どうか原文をあたって下さい。べネット氏は英国人のユーモアを称えつつ、ビグルスワース氏にはそれがないと嘆いています。
そして、ビグルスワース氏にこう叱られても、これからもボトルを海に投げ続けると語っています。

「僕はボトルを海に投げ続けてきた。電子メールと衛星通信の時代に(逆に)ボトルを使うなんて、素晴らしい通信方法じゃないか」

だそうです。

いや〜、いい話じゃないですか(笑)

こちらではよく庭に植えた木をめぐってお隣さん同士が争うことがあります。
曰く、
「お前んトコの木から落ちた枝や葉っぱで掃除が大変じゃないか」
「こーんなきれいな木を切れだと? 情趣のないヤツだ」
という感じ。

ですから、今度の騒動は「近所ゲンカ」を世界規模に拡大したものと言えるでしょう。
でも、お隣さん同士だけに、バーベキューでもやって一緒にビールでも飲めば簡単に仲直りできそうな気もしますけどね〜(笑)

しかし。
ちょっと気になったのがベネット氏のコメント。
それによると、彼はこの「ボトル投げ」を何年にも渡ってしてきたそうです。
おもしろいから。

とすると。
返事をもらったのが今回が初めてだったということは、今まで投げてきたボトルは全部海の藻屑と消えてきたことになりますよね。
というか。
消えればいいですけど、そのまま漂流していたり、どこかに堆積してたりする可能性の方が大きいのではないでしょうか。
そして。
もし、こういうべネット氏のようにひんぱんに「ボトル投げ」を楽しむ人(ベネット氏は何しろ沿岸警備隊勤務ですからね〜。やろうと思えば毎日だってできるでしょう)が仮に1万人アメリカにいるとすれば。

結果としては、やっぱりすんごいゴミになっちゃうでしょうね〜(汗)

似たようなものに、トイレの落書きがあります。
ドアの裏にたったひとつ、散文詩が書いてあったりすると「あ〜、ロマンだ〜」と思い、ノートに書き写したくもなりますが、ドア壁問わずびっしり落書きがあると、内容がどうであれ、読みたいという気分はなくなっちゃいます。

「チリも積もれば・・・」で、
ロマンも積もりつもれば、クソミソいっしょくたでムードぶちこわしになってしまうということでしょう。

「ボトル投げ」を全面禁止するのは難しいでしょうから、ここはひとつ折衷案として、
「ボトルを投げるのは、研究調査目的、あるいは、一生で最もロマンチックな場面一回きりに限る」
という国際ルールを設定するといいと思います。

あ、そうそう。
「無人島に漂着して救助を求めている場合」は「例外」として無制限のボトル投げを認めることにしときましょう。
果たして、一生のうち何度こういう経験をするかは分かりませんが。
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by kaoru_oishi | 2006-02-10 11:51 | その他もろもろ


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